こころじ~んブログ

『致知』連載第十二回「笑い」から始まる新たな挑戦

「心と遺伝子研究会」の端緒となった研究テーマが「笑い」です。

  • 20世紀の偉大な哲学者ベルクソンは、フランスの喜劇や道化役者の芸から学んで「笑いについて」という論文で、ユーモアの社会的な意味づけをした。それは「笑い」には秘めたる力があることを見抜いていたからではないか。
  • 天照大御神が天岩戸に御隠れになった時、八百万の神々が一堂に会し、女神であるアメノウズメがストリップさながらに踊り狂ったことで、それを見た神々の大きな笑い声が高天原にまで届いた。不思議に思った天照大御神が自ら天岩戸の扉を開けたことで、再び世の中に光が戻ったという神話がある。日本においても「笑い」は特別な力を持つものだ。
  • いっぽう、現代脳科学においても「笑い」は、ある一定の行為を行う動機づけとして働くことがわかっている。「笑い」は人をより一層前向きにさせるだけでなく、モチベーションアップにも一役買っていることが明らかになった。
  • 神経伝達物質として、「脳内麻薬」と呼ばれるβベータ-エンドルフィンは笑いによっても分泌される。つまり、苦痛や不安といったものを和らげる上でも、笑いは重要な役割を果たしている。

ヨーロッパには「笑いは副作用のない薬」という諺ことわざがあるようですが、こうした様々な笑いの効用を知るにつけ、まさに言い得て妙と言えるでしょう。

『致知』連載第八回「伊勢神宮に見る日本の「食」の原点」

『致知』連載中の村上和雄「生命科学研究者からのメッセージ」。

二月号のテーマは「伊勢神宮に見る日本の「食」の原点」

 

長い研究人生において、二度にわたるコメの研究を通じて日本の食の原点と向き合ってきた村上和雄。その経験は伊勢神宮を訪れた時の感動によってさらなる学びへと繋がりました。

『・・・古来、日本人は食べ物について、自分たちの力で獲得したのではなく、神からの恵みとして与えられたものと考えてきました。神話の世界では、瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が天孫降臨する際に、天照大御神から「稲穂の力で日本の国を平和に治めなさい」と告げられています。これは稲穂が最も尊い食べ物であることを示しており、日本はこの教え通りにコメを主食とすることで、今日に至るまで続いてきたと言えるでしょう。

一方、瓊瓊杵尊に稲穂を授けた天照大御神が祀られているのが、日本人の魂の故郷として信仰されてきた伊勢神宮です。伊勢神宮といえば、日本人の誰もが知っている有名な神社ですが、その信仰の原点が「食」にあることは、意外と知られていないようです。

伊勢神宮には、天照大御神を祀った皇大神宮(内宮)と豊受大御神を祀った豊受大神宮(外宮)とを中心に、百二十五もの神社が集まっています。その中にあって、外宮に祀られている豊受大御神は天照大御神の食事を司る神様であることから、外宮は「神様の台所」と呼ばれてきました。伊勢神宮では年間大小数百回もの祭が行われていますが、そのほとんどが「食」に関する神事なのです。

そして、神々の食卓を彩る食材は、すべてが地元の豊かな自然から取れた米、野菜に魚でまさに理想的な日本食と言えるでしょう。伊勢神宮では完全な自給自足、地産消のシステムを保ち続けてきました。こうした取り組みは、最も古い日本の食を伝えながらも、一方では未来へ続くサステナブル(持続可能)な食のあり方も示していると言えるかもしれません。伊勢周辺には古くから、「おかげさま」という言葉が根づいてきました。四季が巡る中で、ある時期が訪れると作物が実り、我われはその恵みを受け、ご飯が食べられる。そうやって健やかに平和に過ごせることを神様に感謝する心、それこそが「おかげさま」なのです。それは神への感謝であって、広くは大自然への感謝の気持ちが込められているのです。

イネは、日本人の精神や生活の根源となる特別な存在であり続けてきました。また、「イネ」という言葉のうち、「イ」は命、「ネ」は根っこ、であると言われ、イネにも魂があるとして「稲魂」という言葉もあるそうです。こうしたことから、イネによって培われてきたものが、いつしか私たち日本人の遺伝子にも組み込まれていったのかもしれません。私が日本の威信を賭けて「イネ全遺伝子解読プロジェクト」に全力投球できたのも、そういう目に見えない力に後押しされていたのではないかと、思うことがあるのです・・・』

コメは日本人にとって単なる食材ではなく、心・遺伝子・魂に繋がっているもの。でも、 日本人のコメの消費量は年々減少し、一方サプリメント市場はどんどん拡大しています。伊勢神宮では毎日朝夕、神様に食事をお供えします。その献立は、ご飯、水、塩が基本で、鰹節、魚、昆布、野菜や果物、清酒といったシンプルなものだそうです。こういう食事こそ日本人にとっては理想的な健康食ではないかと思いました。

『致知』連載第七回「遺伝子組み換え技術はどうあるべきかを考える」

『致知』連載中の村上和雄「生命科学研究者からのメッセージ」。一月号のテーマは「遺伝子組み換え技術はどうあるべきかを考える」です。

前回、イネ全遺伝子解読プロジェクトの話が述べられました。これを読んだ方の中には、その解読された遺伝子情報はどのように使われたのだろう、と思う方もいらっしゃるでしょう。その成果は公開され、管理は農水省が行っていました。ところが、2018年、日本の種を守ってきた「種子法」という法律が突然廃止されました。一般人にはなじみのない法律ですが、その「種子法」が日本の美味しいコメを守ってきたといえます。イネ遺伝子プロジェクトは日本人の魂であるイネの遺伝子を日本人の手で解読する、という思いでなされたものであったのに、ここに来て、国は食糧の基本であるコメ、ムギ、ダイズの種子市場を民間企業に任せることにしてしまったのです。そしてタネの巨大な市場はモンサントをはじめとする外国企業の寡占状態です。

いっぽう遺伝子組み換え作物は日本では消費者に嫌われて広まっていないかのようですが、実際は加工に使われる大豆や小麦などはほとんど輸入品であり、遺伝子組み換え作物です。消費者は知らないうちにそれらを食べています。遺伝子組み換えでない豆腐や納豆だけ選んでいても、食糧自給率の低い日本ではそれらを全く食べずに生きていくのはほぼ不可能といえます。ここには、大きなごまかしがあるといえます。遺伝子組み換え技術は、ひとが優良な品種を作ってきたその長い歳月を一気に短縮してしまうことができる夢の技術です。そこに村上の思いもありました。しかし、自然を短い時間で操作することに危険を感じている人も多い。そして、どこまでが良くてどこからが行き過ぎなのか、その判断基準がなく、技術が発明されれば歯止めをかけるものがない、といえます。

写真:大豆畑。アメリカから輸入されている大豆の9割が遺伝子組み換え作物だという

私達は大変難しい時代に生きています。一人一人がこの国の将来を考えていかなければいけない時代です。今回のメッセージを読んで、自分たちが食べるものについて何も知ろうとせず、政治家、科学者、大企業に任せて、自分たちで選択することをしなくなれば、日本や世界は後戻りできない状況になっていく危険をはらんでいる、そのように感じました。

 

『致知』連載第六回「日本の威信をかけた『イネ全遺伝子解読プロジェクト』」

『致知』連載中の村上和雄「生命科学研究者からのメッセージ」。              十二月号のテーマは「日本の威信をかけた『イネ全遺伝子解読プロジェクト』」

二〇〇〇年四月、村上は新聞のある記事に読んで大変なショックを受けます。そこには、アメリカの、ヒト・ゲノム解読で名を挙げたセレラ・ジェノミクスという会社が、「ヒト」に続いて「イネ」の遺伝子暗号の解読に乗り出した、とかいてありました。

村上は、その前年に筑波大学を定年退官していたのですが、「十八歳で大学に入学し、やっと六十三歳で卒業できた」「いよいよこれから社会人としての人生が始まるんだ」という期待に、胸膨らませていたといいます。まさに人生これからだ!と思っていた矢先に、突如として舞い降りてきたのが、「イネの全遺伝子暗号の解読」だったのです。

日本人の身体と精神には稲や米からもらった生命が受け継がれている、日本人のアイデンティティや日本文化を守るためにも、日本人の手によってイネの全遺伝子暗号を解読するのが筋ではないか、という思いが村上の心を揺さぶったのでした。しかし、村上は既に大学を退官していたので、研究の拠点はありません。そこで財団法人国際科学振興財団にバイオ研究所を設立しました。そして、政治家のところに研究予算獲得のため陳情に行ったと言います。ある政治家は、村上の話を聞いたうえで「予算を付ければアメリカに勝てるのか」と鋭く質問してきました。正直当時の状況からは負ける確率の方が大きかった。でも村上はとっさに「勝てます」と断言しました。この決心こそがあらゆることを動かしたのではないか、そう思えてなりません。

そして、村上の研究人生で、最も厳しいものとなったプロジェクトが始まります。心労で8キロも体重が減ったと言います。しかし、ついに2003年3月、世界に先駆けてイネの全遺伝子暗号の解読に成功したのです。その成果は科学雑誌「サイエンス」でも発表されます。その後、3万2千個のイネ遺伝子暗号は農水省が一括管理することになりました。日本はこれらを特許で独占せず、すべて公開したのです。

村上は、「神話から続く稲作の文化が日本人の遺伝子にしっかりと組み込まれているような気がしてならないでのす。私がイネの全遺伝子暗号解読に真剣になれたのも、そういった目に見えないものが後押ししてくれたように思うからです」といいます。プロジェクト終了後、伊勢神宮へ参拝した村上は、改めて稲作と日本の国づくりや日本文化との深い関係について思いを馳せたといいます。村上はこの研究を意気に感じ、筑波大学の退職金を全てイネ研究に寄付したそうです。その私心がないところに、天が助けてくれたに違いない、そう思えてなりません。

『致知』連載第五回「ヒト・レニン全遺伝子暗号解読の軌跡」

『致知』連載中の村上和雄「生命科学研究者からのメッセージ」。                                                     十一月号のテーマは「ヒト・レニン全遺伝子暗号解読の軌跡」です。

新生・筑波大学を国際的な大学にするため、三年・千日と日を区切って、研究に邁進した村上和雄。そこからは、白鳥哲監督制作の映画「祈り」でも描かれた、天が味方してくれたとしか言えない、ドラマティックな出来事が起こります。脳内レニンの正体を解明するために、牛の脳下垂体からレニンを取りだすことを考えた村上は、その材料調達のために筑波から東京・芝浦の食肉センターに通い続けます。そして、断られても断られても、牛の脳下垂体を譲ってもらえるよう頼み続けました。とうとう根負けした食肉センターの責任者の方は「大学の先生にこれだけ頭を下げられたんじゃ、断れねぇや」と言ってくださったそうです。それからは、研究室の全員で、毎日毎日、冷凍された栗の渋皮を剥くような難しくも単調極まりない脳下垂体の皮剥き作業に取り組みました。それはおそらく多くの人が抱く研究のイメージからは、かけ離れた単純な肉体労働だったと思います。でも、村上は研究室のメンバーに「これさえできれば世界的な研究ができる」と言って励まし続けました。そして遂に牛三万五千頭分の脳下垂体から0.5ミリグラムのレニン純品を取り出すことに成功したのです。この成果を1981年のドイツ・ハイデルベルグで開かれた国際高血圧学会で発表した村上には、万雷の拍手喝采と「ドクター三万五千頭」というニックネームが送られたのです。

しかし村上の挑戦はまだまだ続きます。新しい遺伝子工学の手法で、ヒト・レニンの大量製造と、レニンの基本構造の解明というテーマに取り組んだのです。そこではパスツール研究所やハーバード大学という横綱級がライバルでした。さすがの村上も諦め半ばだった時に、学会で訪れたドイツ・ハイデルベルグの学生街のカフェで、旧知の間柄であった京都大学教授、中西重忠先生とバッタリ出会います。そこで村上は研究の窮状を語ったところ、中西先生は研究室を上げて全面的に協力することを申し出てくれたのです。そして遂に奇跡は起こり、ライバルを抜き去って、世界で初めてヒト・レニンの全遺伝子解読に成功しました。まさに、「天は自らを助くるものを助く」という言葉を思い出さずにはいられません。

『君のやる気スイッチをONにする遺伝子の話』

村上和雄の新刊のご紹介です。この本には、鹿児島の県立高校で行われた村上の講演記録、高校生との質疑応答、講演後に高校生達が書いてくれた感想文が掲載されています。特に質疑応答の質問が、核心を突いた内容であることに感動します。そして、その感想文からは、これからの日本を担う若い人たちの心に、村上の思いが届いたことが確信できて、胸が熱くなりました。どんな世代の方にもおススメできる一冊です。

以下amazon書籍紹介~

内容紹介

遺伝子工学の世界的権威・村上和雄氏。本書は平成24年、鹿児島の高校で約1,000名の生徒たちを対象に行われた講演会を書籍化したものです。
難解と思われがちな生命科学や遺伝子の話ですが、独特のユーモアや身近な例を交えての講演に、生徒たちもグングン引き込まれていきます。そんな彼らの真剣さに呼応するように、自らの歩みを振り返る著者の話もまた熱を帯びていきます。
心の持ち方によって遺伝子の働きが変わる、利他的な遺伝子の存在、私たちの体を動かしている何十兆もの細胞の存在……。巻末には生徒たちのこんな感想が収録されています。
「村上先生のお話をきいて思ったのは、人間の可能性は無限大なんだということでした」 「才能のある人とない人の差は縮まらない。そう思っていましたが、実は眠っている遺伝子を起こして、才能を開花させるのは結局自分次第だということがわかり、嬉しかったです」

お子様、お孫様へのプレゼントにも、ぜひおすすめしたい一冊です。

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目次
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遺伝子が目覚めれば人生が変わる――講演

・学校の偏差値と優れた研究は必ずしも一致しない
・実の親から実の子へと受け継がれる遺伝子
・心の持ち方によって遺伝子の働きが変わ
・笑いと遺伝子のオン・オフのかかわりを研究する
・笑いが糖尿病患者の血糖値の上昇を抑制した
・笑いは副作用のない薬になるかもしれない
・どこの国の神話にも笑いが描かれている
・大ピンチのときにこそ笑いが大切になる
・ダライ・ラマ十四世との出会い
・六十三歳で大学を卒業、私の人生はこれからだ
・日本の誇りをかけて取り組んだイネの遺伝子暗号解読
・極微の空間に書き込まれた生物の遺伝子暗号
・遺伝子暗号を書いたのは目に見えないサムシング・グレート
・生きているということはそれだけですごいこと
・六十兆の細胞が互いに助け合って私たちの体を動かしている
・利己的な遺伝子だけでなく、利他的な遺伝子がある
・赤ちゃんは生物の三十八億年の歴史が生み出した最高傑作
・人間の年齢は宇宙生命で換算すると百三十七億歳
・「みんなちがって、みんないい」――自分と人を比較しない
・二十一世紀には日本人の時代が来る
・世界に称賛される日本のフォー・アザーズの伝統
・他人のために働くことが自分にとっての大きな幸せになる

村上先生と一問一答――質疑応答

・他人を気にしすぎると自己肯定力が落ちてしまう
・遺伝子と環境因子の相互作用で人格や行動が決まる
・遺伝子操作は慎重にも慎重を重ねて行わなければいけない
・科学の発見とは絶対的真理ではなく、真理に近づくプロセス
・ほがらかな気持ちが病気の発症を抑える

講演を聞いて――感想文

花緑の幸せ入門「笑う門には福来る」のか?~スピリチュアル風味~ 柳谷花緑 著

ご紹介します。

22歳で戦後最年少真打ちとなった落語家、柳家花緑。順風満帆にみえる彼には、実は学習障害があり、通知表は1か2、漢字が分からず本を読むこともできなかった。初めて本を読めたのは18歳。なぜかピンときた、幸せとは何かを問う本だった―。それ以来、落語家として活躍しながらも、独学で漢字を学び続け、幸せについて考え続けてきた。ある時「笑う門には福来たる」ということわざにそのヒントがあるのではないかと思い至り、本書の執筆を決意。自らの体験と、祖父で師匠の人間国宝5代目小さん、筑波大学名誉教授・村上和雄氏、故・小林正観氏など多くの人に支えられながら導き出した答えとは―。画期的な幸せ入門書!

書籍紹介⇒ http://www.takeshobo.co.jp/book_d/shohin/5530843

柳谷花緑さんといえば人間国宝・五代目柳谷小さん(永谷園のCMに出てましたよね!)の孫でエリート落語家さんです。戦後最年少で真打ちになったそうですが、実は小さいころ学習障害があったそうです。漢字が苦手だそうですが、落語はすべて聞いて覚えたのだそうです。「笑い」をテーマに書かれたこの本には村上和雄との対談が収録されています。この本は花緑さんの正直で飾らないお人柄が滲み出た、ちょっとスピリチュアルな視点からの生き方論が書かれていて、読むと、気持ちは前向きに、あったかくなります。ええかっこしい、のところがなくてご自身の迷いや、実践した中で気づいたことが素直に書かれています。あらためて、村上の研究テーマでもある「笑い」は、幸せの秘訣だと思いました。花緑さんの落語を聴いて大笑いしたいです( ◠‿◠ )!

見えない世界を信じることからすべてが始まる『致知』10月号

写真撮影:山下武

「致知」生命(いのち)のメッセージ連載第106回目の対談は、奈良県天理市に佇む日本最古の神社の一つ石上(いそのかみ)神宮の宮司、森正光氏と、日本人の神道的生き方について語り合っていただいた一部をご紹介いたします。
村上和雄の故郷天理市にある石上神宮は、武門の棟梁たる物部氏の総氏神として祀られてきたのですが、その歴史は「古事記」「日本書紀」に初めて神宮として名前が出てくる最古の神社だそうで、卑弥呼の時代の百年後くらいに物部氏がお祀りしていたとのことです。

森「神武天皇が東征して大和に来られた時に、熊野の軍勢の毒気に当てられて天皇以下軍勢一同が仮死状態になられてしまう。それを知って、高天原から建御雷神様(たけみかずちのかみさま)の剣『布都御魂(ふるのみたま)』が降ろされ、その剣を神武天皇がもたれた途端、熊野の軍勢はあっという間に討伐され、『私は何と長く寝ていたことか』とおっしゃられたというのが記紀にでてきます。そのときの神剣がお祀りされたのが石上神宮です。     

村上「その神剣は今も祀られているのですか」                    

森「ええ。現在も主祭神である布都御魂大神のご神体としてお祀りされています。石上神宮は古代豪族物部氏の氏神で、物部氏のご先祖は饒速日命(にぎはやひのみこと)という神様になります」

村上「いまは学校で神話を教えないから饒速日命と言われてもわからない人が多いだろうな

森「それはありますね。そもそもなぜ神武天皇が大和を目指されたのか。それは神武天皇が『日本の国で一番素晴らしいところはどこか』と尋ねられ、それに対して塩土老翁(しおつちのおじ)という神様が『ちょうど日本の国の真ん中で、青垣なす山々に囲まれた素晴らしいところがある』と答えられた。ただしそこには、すでに饒速日命が高天原(たかまがはら)から降りてきて治めていると。『そんなに素晴らしいところがあるのなら、私もそこに行ってみようではないか』ということから神武東征が始まるのですが、この話からも神武天皇以前から物部氏の遠祖となる饒速日命によって大和の国が治められていたであろうことがわかります」

村上「日本の歴史が持つ懐の深さを感じさせる話ですね」

森「神職のプロとして目指すべきところは宗教的人格を高めることです。神職にとって一番の仕事は神様に対する奉仕で、その次に来るのがお掃除すること。これも奉仕にあたるわけで、お掃除というのは格好良く言えば心の掃除でもあるんですよ。そういった神様に対する奉仕の姿勢を氏子さんたちが見られることで、自ずと氏子さんたちの中に私たちは守られているんだという意識が芽生えてくる」

「神道とは信じるか信じないかの世界であって、言葉を変えれば、感じる宗教であると。何となく境内に入って、「ああ、神々しいな。ここにはきっと神様がいはるんだ」といった感じです。私たち神職にとっては、見えない世界を信じることが何よりの役目だと言っても良いと思います。神様とか仏様にしてもそうなんですけど、目には見えない。見えないけど、実際にはいる。・・・信じることからすべてが始まる。・・・五感すべてで感じるようなものを持ち合わせていたいものですね。『古事記』『日本書紀』に記されている神話についても、そういった感覚で接することが大切なのではないかと思います」

村上「そもそも日本人の精神の中に、そういった神話の世界が生きていると思います。例えば、「おかげさま」という言葉がありますが、これは外国語には訳せない。外国人は「なんのおかげですか?」ときいてくるんですよ。でも我々にしてみれば、神様でもご先祖様でも、自分を少し超えたような存在を感じていればそれでいいんです。「おかげ」というのは影なんですね。表じゃない。これは陰と陽の世界にも通ずる話であって、現れた現象の後ろにあるものに対して、われわれ日本人は「おかげさま」という。それから「もったいない」という言葉も訳せないんですよ。単に「節約する」という意味ではなくて、そのものをつくってくれたひとへの感謝の念があらわされている。こういった日本の精神的伝統というのは、それこそ何千年と続いてきているわけで、そう簡単には消えるものではないと私は思っております。」

森「特に大和というのは、青垣なす山々に囲まれており、石上神宮から見渡してみると、二上山(にじょうざん)、大和葛城山(やまとかつらぎさん)、金剛山が連なり、三輪山(みわやま)もある。こうした雄大な景色というのは、かつて饒速日命や神武天皇も見られた世界であって、現代を生きる私たちもまた見ることができるというのはほんとうに素晴らしいことですよね。それだけにこういった自然をずっと先まで残していくこともまた、われわれの大切な役割だと思っております。」

お二人の対談を読んでいますと、不思議に自分が清らかで静謐な神社や森の中にいるような気持になりました。日本の神話の神々は現代にも生きていると感じます。そして日本人である私たちの中の深いところが感応するのではないでしょうか。

心に響く明かりの創造を求めて『致知』8月号

「致知」生命(いのち)のメッセージ 連載第104回目の対談は、日本の照明デザインの第一人者にして、世界でも数々のプロジェクトを成功に導いてこられた照明デザイナーの石井幹子さんです。村上和雄が、照明を通じて光の美を人々の心に届け続ける石井さんの歩みを伺いました。一部をご紹介いたします。

村上 「石井先生とはニッポン放送番組審議会でご一緒するようになってからのご縁なので十年くらいのお付き合いになりますね」

石井 「先日村上先生の本を買いまして…その中で実践しようと思ったのが、自分の細胞に向かって「ありがとう」と感謝を伝えることですね。今こうして自分が存在していることがどれだけ大変なことか、それがとってもよくわかりましたねぇ」

石井幹子さんは照明デザインという仕事が日本に無かった時代に、ヨーロッパに単身で渡り、照明器具や建築照明のデザインを学ばれたそうです。

石井 「私の仕事がどういうものか知ってもらううえで一番わかりやすかったのは東京タワーでしょうね。あまり人気のなかった東京タワーを平成元年に照明して以来、すっかり人気スポットになりました。東京タワーの照明が照明の効果を証明した…東京タワーの夜景が見えるというだけですぐにマンションの借り手や買い手があらわれ、これがきっかけで夜景に価値があることが皆さんにわかっていただけたと思います」

「おかげさまでその後はレインボーブリッジ、瀬戸大橋、明石海峡大橋など当時盛んにつくられた大型橋梁の照明をほとんどやらせていただきました」「夜景を綺麗にするとその地域一帯における経済波及効果が十一倍にもなるんですよ」

夜の東京タワーは本当に綺麗です。私は夜、都内で東京タワーが見えると嬉しくなります。この素晴らしい夜景を生み出したのは石井幹子さんだったのです。今、日本の美しい夜景を私たちが楽しめるのも石井幹子さんのおかげですね。

ヨーロッパから戻りフリーランスで仕事を始めたころ大阪万博が開催され、石井さんはどんどん活躍の場を広げられました。けれども、やがて石油ショックで国内の景気は悪くなります。そんななか、石井さんにサウジアラビアの迎賓館のお仕事が来て、

石井 「その時に悟ったんです。たとえ日本に仕事がなくても、世界のどこかには唸るほど仕事があるんだって」「仕事を進めていくうえで困難はつきものですけど、何があってもこれは神様の思し召しだと思うようにしてきました。何か悪いことが起こったときに、これは何かのお計らいなんだと…それはもう十人十色ですけど、それぞれに何か与えられているものがあるんじゃないでしょうか」

村上「大きな仕事をされる方にはやはり天の味方というのがあって、僕はそこにサムシング・グレートの働きを感じるんですよ。…もし仮にそういったものを引き寄せることができるとしたら、それは感動だと思うんです。…感動があるからそこに行動が生まれる。石井先生のお仕事には喜びと感動があふれていますね」

石井 「私が30代後半からやっていたライトアップ・キャラバンはまさにそれでした。海外の美しい夜景を見るにつけ、日本都市の貧しい夜の景観が気になって…自分で京都市景観照明計画をつくって市役所に持って行きましたが全然聞いてくれない。そこで許可を得て、二条城と平安神宮の大鳥居とその界隈を照明したんです。その後も札幌、仙台、金沢、名古屋、大阪、広島、熊本などでやっていきました。あの当時、よくそれで経済的にやってこられたと思いますけど、始めて8年後に横浜市からご依頼があってようやく仕事に結びつきました」「でもその8年間っていうのは自分が楽しくてしょうがなかったんです。闇に埋もれた建造物に光を当てて、わぁ綺麗だって、自分で感動していました。だから何の頓着もなかった」

村上 「身銭を切るという精神は、やはり素晴らしいと思いますね」

石井 「私としては、心に響く明かりを創りたいという一心でこれまでやってきました」

村上 「『ふと浮かぶは神心、あとで濁すは人間心』という言葉があって、人間というのはふと浮かんだものを、そんなことできるはずがないと否定してしまうことがある。でも、本当はふと浮かぶというのは、サムシング・グレートからのメッセージだと僕は思うな」

石井幹子さんのお話を伺って、自分が喜びながらするお仕事は神様のお仕事だなぁと感じました。

 

上写真撮影:坂本泰士

絵は自分の心を映し出す鏡 『致知』7月号

「致知」7月号 生命(いのち)のメッセージ連載・第103回目の対談は、力強い色彩をもって圧倒的な迫力で迫ってくる作品群で多くのファンを魅了するとともに、画家として四十年以上にわたって日本の美術界をリードしてきた絹谷幸二氏。その画風の原点には、生まれ育った奈良の土地柄が大きく影響しているそうです。写真の後ろには絹谷氏の代表作長野冬季五輪ポスターとなった「銀嶺の女神」が。素晴らしい色彩の豊かさと崇高さに目を奪われます。対談の一部を抜粋します。

フレスコ画とは、古くは紀元前にラスコーやアルタミラの洞くつで描かれた壁画にまで遡る古典的画法だそうです。絹谷幸二氏はこの技法をイタリアで学び、スケールの大きな鮮やかな絵画を数多く描かれています。その技法は、

絹谷 「…まず壁に漆喰を塗ります。そうすると表面に氷のような被膜が浮き出てきますので、それが乾かないうちに水で溶いた顔料で絵を描いていくと、ごく自然にコーティングされていくんですね。…壁のほうから顔料を捕まえに来る。そのためフレスコ画は顔料を新鮮なまま保つことができる画法でもあるんです。…しかも空気中の炭酸ガスが吸収されることで漆喰が石灰岩となって固まることから、植物が光合成するときと同じように我々が吐き出す炭酸ガスを吸い取ってくれているわけで、これは本当に凄いことですよ」

氏がフレスコ画を学んだイタリアには、中世ヨーロッパの趣が色濃く残っていて、日本における奈良に似ていると感じられたそうです。そしてイタリアに行って、ご自身の故郷である奈良の本当の価値に気づいたそうです。

絵の醍醐味

絹谷 「後に富士山に憧れて、晩夏から初秋の朝日に生える赤富士や、朝日が雪に当たった時に現れる紅富士などを好んで描くようになりました。…その富士山を形づくっている石灰岩や赤土といった成分が長い時間かけて水に溶け・・・川を下って、海に注がれ、それをプランクトンが食し、エビカニが摂取し、やがて人間の血肉となる。そう考えていると、富士山を描いている自分と風景とは別個のものではなく同じものだということにあるとき気がつきましてね」

村上 「私たち人間を含めた地球上のあらゆる存在を構成する元素は、すべて地球からの借り物だから同じものだと言えますね」

絹谷 「…私たち人間の体も借り物だという感覚は以前から何となくあったのですが、まさに先生のおっしゃるとおりで、私はそのことに大変感動しました」

村上 「絹谷先生はそういった感動をもって、これまでずっと絵を描いてこられたのですね」

絹谷 「画家として本来鍛えるべきはテクニックではなく、ハートなんです。本当に不思議なもので、絵というものは自分の鏡のように、ハートが映し出される。…心眼でガッと見ますと、だいたい十秒か十五秒くらいで、その絵を描いた人の心の中がパッと分かってくる。…仮にいま生きている方はごまかせるとしても、よほど心がポーンと入ってないと、三百年後に生きている人とは語り合えなくなるんですよ。これが絵の怖いところであると同時に、醍醐味であると私は思うのです」

色のある世界

絹谷 「『般若心経』には「色即是空」という言葉があって、一般的に宗教家の方は「色」というのは形だとおっしゃるんですね。つまりかたちあるものはないと。でも私はこの「色」とは色のことを指していると思うんですよ。つまり色のない世界がある。…夜の世界や…私はスキューバダイビングをやるんですけど、海面から三十メートルくらい潜るとパッと色彩が無くなる」

絹谷 「その一方で、『華厳経』などには花一輪存在することの尊さが書かれていますが、まさにそのとおりで、花というのは非常に人間に近いと思うんです。…私たちは筆と絵の具を使って絵を描いていますが、花は筆も絵の具もないのに自分の体にあれだけの色を付けている。でも彼らは決してそれを見せるためにやっているわけではなく、寄ってきた蜂や蝶を介して命を繋いでいきたいという強い思いのようなものをもっていると思うんです」

村上 「花にも心があるかという問題があって、ダライ・ラマ法王はないというんですよ。ところが日本の科学者は人間と同じような心はなくても、心のようなものがあるのではないかと言っています」

村上 「絹谷先生の作品はどれも色鮮やかですが、やはり奈良で生まれ育った影響が大きいのでしょうか」

絹谷 「そのことに関しては二十八歳の時にイタリアに留学したのがよかったのだと思っています。…ヴェネツィア駅で、列車を降りて、駅の外に出た瞬間にパッと自由な風が吹いているのを感じたんですよ。それが衝撃的で、街を見渡すとヴェネツィアンレッドや鮮やかなブルーなどの色がそこかしこに…それまでの自分は真面目、清潔、時間に正確という日本人が持っている良さを追及しているような人間で、…絵も無彩色のものばかりかいていたんですよ。ところが駅に降りた途端、それまで自分が作り上げてきた世界がパーッとほどけた。とにかく一所懸命やるだけだったのが、面白がって絵を描けるようになったおかげで、自分でもいいなって思える作品ができるようになったのが大きな変化でしたね」

村上は「環境を変えることが遺伝子のスイッチをオンにする」といいます。絹谷氏がヴェネツィア駅の外に出た時は、遺伝子のスイッチがオンになった瞬間だったのかもしれない、と感じました。目の前に鮮やかな光景が映画をみるように浮かび上がってきました。

不動明王の如く

絹谷 「最近では、大阪の梅田スカイビルに常設美術館『絹谷幸二 天空美術館』をつくりました。その一角には私の絵が3Dの大画面で展示されているんですよ。こうした取り組みは初めてのようですが、やはり芸術家というのは進取の気性を発揮して、時代の切っ先に身を置いていかなきゃいけないと思うんです。もちろんこれまで継承されてきたものを大切にするのも大事ですが、その反対のことも同時に行う。穏やかに穏やかにという中に、不動明王のごとく強い気持ちで前進していかなければいけません」

村上 「私もぜひ一度、絹谷先生の新しい挑戦を拝見しに、その美術館に行きたいですね」

撮影:山下武