こころじ~んブログ

新刊のご案内「リト」山元加津子、村上和雄 著

村上と親交が深い山元加津子さん(かっこちゃん)が今、湧き上がる思いで書き上げた「リト」というお話。その思いをHPから一部ご紹介します。

なぜ、こんなにも、書きたい書きたい、早く書きたいと思いながら、朝も昼も夜も考え続け、書き続けたのだろうと振り返ると、映画「1/4の奇跡」に出てくる雪絵ちゃんとの約束を果たしたい思い、コロナウィルスに対する大好きな村上和雄先生の「みんなに伝えてね」という約束を守りたいという強い思いと重なっているからかもしれないと思います。

 村上和雄「サムシング・グレート」に感謝して生きる から

同じ一つの大きな命として、もっと多くのものと共生していく責任と喜びを分かち合う。そうした生き方ができれば、おそらく多くの人が、このたった一つしかない地球で生まれ、たった一つの命を与えられ、奇跡的な確率で生きていることをもっと素直に喜び合えるはずです。

村上和雄先生のサムシング・グレートを私なりにファンタジーで表したのが「リト」です。

ご購入は下記URLをご覧ください。

https://eiga377.wixsite.com/monanomori/blank-8

 

広島国際平和会議から発せられた祈り

「致知」連載第十六回・生命科学研究者からのメッセージでは2006年11月に開催された、ノーベル賞受賞者三人による広島国際平和会議を取り上げました。村上は受賞者の一人であるダライ・ラマ法王からの打診によって会議のコーディネーターを務めました。

  村上和雄のメッセージ

なぜ今この会議のことを取り上げたのか?それは、

「今が人類の分水嶺の時であると感じるからに他なりません。もしあのメッセージを無視してしまったら人類は今世紀末には滅亡してしまうかもしれない、それほどの危機感を抱いているからです。」「私はこの会議が広島で行われた意義をあらためて、いや、何度も何度も日本人として考えなければならないと思っているからです。」

  ダライ・ラマ法王のメッセージ 

  「人類には普遍的責任がある」

人間は社会生活を営む生物である以上、個人の幸せは社会に依存している。経済や人口増加や環境問題など、あらゆる事象がグローバル化した「ニュー・リアリティー」(新たな現実)の時代だからこそ、世界全体を‟人類家族”と捉える考え方が重要だ。その意味で、人類一人ひとりが「普遍的責任」を負っているのである。

平和の対極にある戦争では、相手を敵と見なすが、敵を害することは自分を害することにつながる。利己的な態度を改め、相手の「痛み」を想像しなければならない。すべての人間は他者を思いやる心をもつ。すべての人間は母親から生まれる。そして、母親から無私の愛情を注がれて育つ。他者への思いやりの心は、母親によって育まれるのだ。

   ベティ・ウィリアムズ氏のメッセージ 

  「母性のもつ強さ、親心こそ世界を変える力」

平和とは自分からはじまるものです。人間ならば誰しも、時には暴力的になってしまうものでしょうし、特に私はそうです。子どもたちが傷つけられるのを見ると、とても腹が立ちます。しかしそこで私は毎瞬間、自分と格闘します。怒りを破壊的な行為へと向けるのではなく、ポジティブな感情へと転換しようとしています。怒りは意味があることのために使わなくてはなりません。また、平和とは家庭から始まるものです。私は世界平和を訴えるためには、それに先立って自己の平和と家庭の平和を実現しなければならないと考えております。

息子のポールがある年齢になった頃、人からよく 「男の子なのだから泣いてはいけない」と言われていました。つまり、泣くのは男らしくないというのです。よくも子どもに向かってこんなことが言えたものです。一体どうして男の子は泣いてはいけなくて、女の子は泣いても構わないのでしょうか。このような決まりは古めかしく、馬鹿げています。ですから私は息子にこう言い続けてきました。「男だって涙を流すものよ。人に涙を見られるのを恐れてはいけません。真の男は涙を流すのだから」と。

女性のみなさま、ご家庭で自分の息子をどのように扱うのかというのは大切なことです。調和の取れた男性に育てるためには、感情も含めてあらゆる感性を育成しなくてはなりません特に男の子にとって、感情を表に出すことが許されるということは非常に大切だと思います。

  デズモンド・ツツ大主教のメッセージ

  「赦す」ということ

アパルトヘイト政策が終わりを告げたとき、多くの人々は、残虐な報復行為が起こるのではないかと考えた。しかし、それは起こらなかった。むしろ、和解のための委員会が開かれた。それは、長い間虐げられてきた黒人が、仲介者である国連の助けを借りながら、寛大な精神をもって赦そうとしたからだ。

たとえば、自分の身に何か悪いことが起こったとき、人はそれを忘れてしまおうとする。しかし、それは潜在意識に入り込み、あるとき突然“化け物” となって現れることがある。不幸な出来事に対する、もう一つの方法がある。それは現実を直視することだ。感情的には非常な困難が伴うが、南アフリカでは、まさにそれが行われている。人は変わる。善良な人間になることができる。きのうの敵でも、あすは友になれる。これが南アフリカで起こっている。ならば、世界中のどこでも可能なはずだ。私たちは共に生きるために、人類という一つの家族になるために創造されたのだから。そうでなければ、この地球上で生きていくことはできない。ほかに選択肢はない- 。

 

いま、村上は考える。「世界の平和のために、俯瞰した立場から大いなる働きをできる国があるとしたら、それは日本しかないのではないだろうか」と。

環境問題解決の鍵となる「縁の科学」

「致知」連載第十五回・生命科学研究者からのメッセージ~は、村上和雄と交流のあるダライ・ラマ法王などの発言から地球再生の可能性を探っています。

ダライ・ラマ法王は90年代から環境問題についてのメッセージを世界中で発信してきました。法王は、2015年4月に村上和雄を含む3人の科学者たちと環境問題のシンポジウムに参加されました。

ダライ・ラマのメッセージ 

広い心の〝賢い利己心″

  • 「私は、これまで「利他的行為」は人生がうまくいく方法だと述べてきました。それは、利他が結局は得をするのだという意味で、利己心に通じるものです。」
  • 「もし、利己的であることを捨てきれないのであれば、狭い小さな心ではなく、知恵をもって広い心で利己的になってください」
  • 「つまり、私たち自身の生存という利己心を満たすために、自然環境の保護と保存を進めているということになります。他の人々の健康と幸せに関心を寄せ、苦しみを分かち合い、救いの手を差し伸べるならば、結局は、あなた自身が得をすることになるのです」

まさに、利他が利己心に通じる基本的な考え方がそこにはある。それを、法王は「賢い利己心」と言いました。

「相互依存」は“縁の科学”

ダライ・ラマ法王は、仏教の考え方として、「あらゆる事象は、別の要因で存在している」と言い、それが「空」の意味であると言います。いってみれば、自然を含めた、すべての現象は相互依存で起こっているということであり、それを仏教では「縁起」と言うのです。

  • 「たとえば、多くの国々が兵器に巨額の資金を投じています。誰も戦争を望んではいません。戦争とは殺し合いです。それは人間を燃料とする炎のようなものです。それは私たちを使い尽くす炎です。戦争は人間の歴史の一部ですが、戦争を作りだす概念である『自国』『自国民』『我々』『彼ら』は、もはや私たちが生きるグローバルな世界においては意味をなさない。」
  • 「すべての人類が、私たちと同様幸せに生きたいのだということを思い出さなければなりません。私の未来は他者に依存し、他者の未来もまた私に依存しています。」
  • 「日本は核の攻撃を受けた唯一の国として、率先して核兵器に反対してきました。私は日本が核兵器に反対することを強く支持しますし、是非それを続けていただきたいと思います。」
  • 「人間は本来、ネガティブなものを持っているからこそ、良い行いをして心の中をポジティブなもので満たしていくのです。世界を破壊するのではなく、生命の環境を創造することが必要です」

村上和雄のメッセージ

  • ひとりの人間は37兆個の細胞を持っています。天文学的な数の細胞が、臓器になり働いています。細胞にはお互いを支え、助ける仕組みが組み込まれているのです。細胞は見えますが、お互いを支える愛や思いやりといった心は目に見えない。本当に大切なものは見ることができないのかも知れません。

2015年9月の国連サミットで採択された「持続可能な開発のための2030アジェンダ」にて記載された、2016年から2030年までの国際目標をSDGs(持続可能な開発目標)といいます。環境問題や持続可能な社会といった言葉を耳にすることは多くなりました。とはいえ、まだまだ多くの日本人がこのような国際的な人類の取り組みを他人事のように感じているのではないでしょうか。SDGsでは「地球上の誰一人として取り残さない(leave no one behind」ことを誓っています。

地球的問題の解決には科学・技術の善用と大自然サムシング・グレートの恵みに感謝する人間の叡智の両方が必要であると考えます。…以上誌面よりピックアップしました。

新型ウイルスも人類も地球上で生きている、繋がっている、ことを、今一度深く考えさせられます。((=_=)スタッフS)

 

『祈り~サムシンググレートとの対話~』期間限定公開(4月24日~5月10日)のお知らせ

村上和雄先生の「祈り」の映画を作成した白鳥哲監督の地球蘇生プロジェクトの映画7作品が5月10日まで限定公開されることになりました。

これまで村上和雄先生の「祈り」の映画観る機会がなかった方々も、観た方々も是非ご覧ください。コロナウイルスがもたらした様々なピンチを、新たなステージへの飛躍のチャンスに変えるためのヒントになりましたら幸いです。

『祈り~サムシンググレートとの対話~』(2012)90分

 

視聴方法
1.リンクをクリック
2.Vimeoにログイン または アカウント登録
(お名前とメールアドレス、お好きなパスワードを入力)
3.お支払い(クレジット または Paypal)
4.48時間鑑賞できます

その他の下記6作品も下記リンクよりアクセスできます
『蘇生Ⅱ~愛と微生物~』(2019)91分
『リーディング~エドガー・ケイシーが遺した、人類の道筋。~』(2018)96分
『蘇生』(2015)90分
『不食の時代~愛と慈悲の少食~』(2010)84分
『魂の教育』(2008)100分
『ストーンエイジ』(2005)109分

『致知』連載第十四回 ダライ・ラマ法王と科学者との対話

チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ法王と村上和雄との出合いは2003年に遡ります。二人は5回にわたり公の場で対話を続けてきました。心と身体、宗教と科学とを結びつける共通項を探り、いかにすれば人類はより幸せに生きられるか、というテーマを探求し語り合ってきたのです。

法王は、仏教と科学との対話には両方にメリットがあると話されます。

「幸せは、仏教でいう祈りや瞑想ではなく、人間の中の感情や本質を見極め、それを明らかに認識し、信心の心ではなく科学的アプローチで訓練することによって生まれてくるものである。科学的アプローチによって一人ひとりが心の中の平和を得、それがひいては世界平和を達成する手段となる」

「もし科学が証明した事実が仏教の教えと矛盾するのなら、教えのほうを変えることも検討すべきだ」

 まさに柔軟で謙虚、物事に囚われることなく真理を求める真摯な姿には敬服しないではいられません。もちろん、法王は科学のみを信奉しているわけではありません。いまの科学で解明できないから真実ではないという考え方は、明確に否定しています。科学で分からないことは無数にあるからです。

村上は生命科学者の立場から、
「心と体、あるいは物質と精神、宗教的なものと科学的なものが、『遺伝子と心』というところで一つに繋がるのではないか」と将来への期待を込めながら、法王にお伝えしました。
村上は「サムシング・グレート」について、宗教者と科学者はアプローチや方法に違いはあるものの、対話は可能であると日頃から考えていたので、法王との対話の機会が得られたことは大変な喜びだったのです。

法王は
「私は必ずしも宗教的な倫理観が必要とは思っていないのです。モラルというものは必ずしも宗教的な面から出てくる必要はありません。世俗の倫理観が持っている可能性、あるいはその能力で十分であるとお話ししているわけなのです。ですから世俗的な倫理観、宗教に対する信心という二つの方向性から人間の可能性を高めていけるのではないかと考えます」と述べられました。 

「近代の世の中は、科学者の様々な発見が宗教的な信心の裏づけとなり、またそういうものが一つに合わさって、いろいろなことを考えていかなくてはならない時代に入ってきています。私は人に対する愛や思いやり、優しさが心の平和、精神的な健康面において非常に重要であり、それには科学と宗教の両方の見方が大切なのではないか。それは村上先生がおっしゃる遺伝子的な観点からも裏づけられると思うのです」

法王は、人間が生まれながらに善であることを信じていて、それは宗教よりもより根源的なものであると考えられているのだと思います。

私(スタッフS)は日本で開催された「宗教と科学の対話」講演会に参加した際、ダライ・ラマ法王が大変科学的な考え方をされることに驚きました。新しい世界を開く鍵は、「科学と宗教の融合」かもしれない、と感じました。

『致知』連載第十三回 笑いこそ至高の妙薬

村上和雄の「笑い」研究は世界に知れ渡るほどのインパクトをもたらしました。

  •  笑いが健康に影響を及ぼすことを、医学界に認知させたのはアメリカのジャーナリスト、ノーマン・カズンズ氏です。彼は膠原病の一つである強直性脊椎炎に罹った。治る見込みは1/500という難病だったが、カズンズ氏は医師が勧める薬剤治療を辞退し、連日喜劇鑑賞に勤しむとともにユーモアたっぷりの本を読み漁り、積極的に「笑う作戦」に打って出た。その結果、数か月後には症状が改善し、仕事に復帰することができた。その後カズンズ氏は難病を克服した詳細な過程を医学誌に発表し、これが契機となってカリフォルニア大学ロサンゼルス校の医学部教授にもなった。
  • 村上は、笑いなどのポジティブなストレスを与えることで、糖尿病患者の血糖値を改善することができるのではないかという仮説を立て、研究を行った。実験では糖尿病患者に、一日目は昼食後に、大学の先生の講義を聴いていただき、二日目には同じく昼食後に、今度は漫才を聴いてもらった。漫才を担当したのは、B&Bのお二人。昼食前と、講義や漫才が終わった後に血糖値を測った。その結果、講義を受けた後と、漫才で大笑いをした後とでは、実に四十六ミリグラムもの数値差が生じた。この研究の論文は、アメリカの糖尿病学会誌に掲載された。さらにロイター通信や『ニューズウィーク』にも論文の内容が掲載されて、村上の研究結果は世界中に知れ渡ることになった。
  • 可笑しいから笑うのではなく笑うから可笑しくなる。つくり笑いでも、神経伝達物質であるドパミンが脳内で分泌されることが報告されている。

笑いは副作用のない薬。「いつでも笑いに溢れた生活を心掛けていると、それだけで健康に繋がるよい習慣を身につけることになる」と村上はいいます。

『致知』連載第十二回「笑い」から始まる新たな挑戦

「心と遺伝子研究会」の端緒となった研究テーマが「笑い」です。

  • 20世紀の偉大な哲学者ベルクソンは、フランスの喜劇や道化役者の芸から学んで「笑いについて」という論文で、ユーモアの社会的な意味づけをした。それは「笑い」には秘めたる力があることを見抜いていたからではないか。
  • 天照大御神が天岩戸に御隠れになった時、八百万の神々が一堂に会し、女神であるアメノウズメがストリップさながらに踊り狂ったことで、それを見た神々の大きな笑い声が高天原にまで届いた。不思議に思った天照大御神が自ら天岩戸の扉を開けたことで、再び世の中に光が戻ったという神話がある。日本においても「笑い」は特別な力を持つものだ。
  • いっぽう、現代脳科学においても「笑い」は、ある一定の行為を行う動機づけとして働くことがわかっている。「笑い」は人をより一層前向きにさせるだけでなく、モチベーションアップにも一役買っていることが明らかになった。
  • 神経伝達物質として、「脳内麻薬」と呼ばれるβベータ-エンドルフィンは笑いによっても分泌される。つまり、苦痛や不安といったものを和らげる上でも、笑いは重要な役割を果たしている。

ヨーロッパには「笑いは副作用のない薬」という諺ことわざがあるようですが、こうした様々な笑いの効用を知るにつけ、まさに言い得て妙と言えるでしょう。

『致知』連載第十一回「御代替わりに思う天皇家の存在」

『致知』連載中の村上和雄「生命科学研究者からのメッセージ」。五月号のテーマは

「御代替わりに思う天皇家の存在」  以下、御代替り直前の記事の要約です・・・

新元号のもと、新たな時代の幕開けを迎える日本。時代の荒波を乗り越え二千年以上に渡って存在する天皇家と日本文化との密接な関係を紐解き、御代替わりへの想いを村上和雄が綴ります。

日本文化における特徴の一つに、今日に至るまで優に二千年以上にわたって続いてきた天皇家の存在が挙げられます。今年は御代替わりの年とあって、この日本文化の特徴が改めて世界から注目を集めています。我われ日本人にとっても大きな関心事であって、こうした時代の節目に立ち会えることに私は深い感慨を覚えるのです。これまでに二度、私は天皇皇后両陛下と親しく接する機会を賜ったことがあるだけに、余計にそう感じるのかもしれません。

初めて両陛下にお目にかかったのは、日本学士院賞を受賞した一九九六年のことでした。授賞式当日には、研究成果についてご進講の機会も頂戴しました。二度目にお目にかかったのはその数年後のことで、皇居にあるご自宅にお招きいただきました。

両陛下のご自宅といっても、なかなか想像できないかと思いますが、こぢんまりとした印象で、とても質素に生活されているのが分かりました。我われにとって最高のご馳走というべきは、やはりテーブルを挟んで両陛下と一時間以上にわたって親しくお話ができたことでしょう。終始和やかでいらっしゃることに加えてお二人の夫婦仲も大変よく、お互いに労り合っておられるお姿は、いまも記憶に新しいところです。

ご公務は実に様々ですが、歴代の天皇にとって最も大切なお務めがあります。それは「祈り」です。天皇家に古代から伝わる宮中祭祀、いまも毎年恒例の儀だけで年間約二十回、その他毎月の旬祭などを含めると、その数は四百回を遥かに超えるといいます。天皇とは祈る君主であって、こうした一つひとつの祭祀を行う中で、国家の繁栄と国民の安寧を祈願してこられたのです。

また、日本列島が天災に見舞われるようなことがあれば、「この天変地異は私の不徳の致すところです」という思いのもと、命懸けの祈りを捧げられるのも歴代天皇のお務めでした。それは天照大御神をはじめ八百万の神へのお詫びであって、「私」のない祈り、つまり無私の祈りなのです。

日本の天皇はまさに利他の象徴とも言える存在ですが、二千年以上にわたって国家の中心的地位におられるというのは世界にも他に例がありません。なぜそれが可能だったかと言えば、天皇が権力を持たなかったことが理由として挙げられるでしょう。歴代の天皇は兵力を持つことはなく、千年以上にわたって住まわれていた禁裏御所には石垣はおろかお濠すらありませんでした。権力はなくとも権威の象徴であったことが、天皇家を長きにわたって存続せしめたのでした。

日本の歴史を俯瞰すると、連綿と続く天皇家が不易として存在する一方、様々な文物を実に柔軟に海外から取り入れてきたことで不易流行という絶妙のバランスを実現していたことが見えてきます。

多様な価値観というのもまた日本文化の一つの特徴を成していますが、そこには太古から大自然と共生する中で大自然を尊び敬う想を生み、それを伝統的に継承してきた点によるところが大きいと私は考えています。

稲作は天皇とも深い関係にあります。

天照大御神は高天原にある稲穂を天忍穂耳命に授けられました。そしてその稲穂を受け取った天忍穂耳命の子・瓊瓊杵尊が、国の始まりを意味する天孫降臨を果たしたのです。そういった大切な場面に稲穂を描いたということは、それほど日本人にとって稲は大切な食物であったといえるでしょう。

新しい元号に代わるわけですが、この元号が「昭和」で終わっていたかもしれないことは意外と知られていません。そもそも日本で初めて元号が使われたのは、遡ること西暦六四五年のこと。元号名は「大化」です。その後、元号は千三百年あまりにわたって日本独自の紀年法として使われてきました。

ところが戦後になると、日本学術会議が「元号を廃止し西暦を採用するべき」との申し入れを政府に対して行ったのです。昭和二十五年のことでした。日本学術会議とは学者の世界における国会に相当する機関で、その申し入れには、元号には科学的な意味がなく、天皇統治を表す元号は国民主権国家に相応しくないという理由が掲げられていました。

その後、この問題は政治的な問題として長いこと議論がなされ、「元号法」が法制化されたのはなんと昭和五十四年になってからのことです。そして昭和六十四年一月七日に昭和天皇が崩御された際に、新元号の「平成」が元号法のもとに制定されたのでした。

新元号には、気を刷新する力が秘められているように私は思うのです。

『致知』連載第十回「冒険家・三浦雄一郎の生き方から学ぶこと」

『致知』連載中の村上和雄「生命科学研究者からのメッセージ」。四月号のテーマは

「冒険家・三浦雄一郎の生き方から学ぶこと」

以下要約です・・・

南米大陸最高峰のアコンカグア。八十六歳の三浦雄一郎氏は、この標高六千九百六十一メートルの頂点を目指して、今年一月に現地へと向かった。しかし、標高約六千メートル地点まで進むも、同行した医師の判断に従ってそれ以上の前進を断念。登頂という偉業達成は、残念ながら実現には至らなかった。

しかし、村上は、「結果はどうであれ、加齢による衰えに屈することなく、挑戦する心を持ち続ける冒険家・三浦雄一郎氏に敬意を表したい。なぜなら彼の生き方は、人間の可能性を強く信じて一歩一歩努力を重ねていけば、未知への扉は必ず開くという実例を、私たちに示し続けてきてくれたから」と賛辞を贈る。

三浦雄一郎氏といえば、二〇〇三年、七十歳にして世界最高齢でエベレスト登頂を果たし、その後、七十五歳、八十歳でも登頂を成功させた世界的な冒険家である。村上は雄一郎氏と十年来の親交を持つ。なぜ前人未到の挑戦を続ける雄一郎氏のような冒険家が生まれたのか?村上は、彼を取り巻く環境、ひいては彼の積極的な生き方そのものが遺伝子のスイッチをオンにした、と考える。

 雄一郎氏は、日本初のプロスキーヤーとして生きる道を模索していた二十代後半、一九六四年のイタリアで開催されたスピードスキー競技「キロメーターランセ」の世界大会に出場し、当時日本人初参加のこの大会において、世界記録を叩き出した。

雄一郎氏の中にあった、「人がやらないことをやって生きていこう」という遺伝子のスイッチはオンになったのだ。

そしてその後、パラシュートでスピードを制御しながら行った富士山直滑降、さらに一九七〇年には、エベレスト大滑降をやってのけた。直滑降している時の時速は実に百八十キロメートルにもなるというのだから、驚くばかりである。まさに世界中の人々の度肝を抜いた挑戦であった。そして、一九八五年には七大陸最高峰すべてで滑降を実現したのだ。

しかしその後、彼は、日本各地から講演会に招かれ、歓待され、美味しいものを食べ続け、体重は増え、ついには標高五百メートルの山にすら息が上がって登れないような状態になってしまう。そんな雄一郎氏を横目に淡々とトレーニングを重ね、モンブランで最も長い氷河のスキー滑降をはじめ、世界の山々を滑り歩いていたのが、まもなく九十歳を迎えようとしていた父・敬三氏だ。また、次男の豪太氏はリレハンメル冬季オリンピックにおいて、モーグル選手として活躍していた。

このままではいけない。そう思って雄一郎氏が自らを奮い立たせ、再び立ち上がろうとしたのは六十五歳の時。それが七十歳にしてエベレストに登頂するという宣言だった。人は幾つになっても、自ら目標を立て、それに向かって努力を続けていけば必ず夢は叶う。そのことを、彼は七十歳にして証明して見せた。

七十五歳で再びエベレスト登頂を果たした雄一郎氏だが、実はこの時、不整脈(心房細動)という大変なリスクを抱えていた。権威ある医師たちから計画反対の声が上がる中、手術を請け負ってくれる医師と巡り合い、彼は世界最高齢でのエベレスト登頂という記録を打ち立てた。

しかもこの後、スキー中に腰の骨を折り、寝たきりになってしまうような大怪我をして、なお、リハビリを乗り越え、八十歳でみたびエベレスト登頂に成功するという、偉業をやってのけたのだ。

「年を重ねても何かに挑戦する情熱と勇気、そしてそれを達成させるための強い執念によって人生は明るく楽しくなる。そして、生き甲斐は人に想像以上のパワーを与えてくれる」  

雄一郎氏のこの言葉に、村上は深い共感を覚えるという。村上が六十三歳で大学を退官した際、将来に対する不安といったものより、むしろ新しいことに挑戦しようというワクワクした気持ちが大いに勝っていた、というのだ。

村上は、雄一郎氏の生きる姿勢から、人間の持つ情熱、強い思いというのは、身体全体の働きを活性化させる、という確信を得たのだ。