こころじ~んブログ

『致知』連載第十四回 ダライ・ラマ法王と科学者との対話

チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ法王と村上和雄との出合いは2003年に遡ります。二人は5回にわたり公の場で対話を続けてきました。心と身体、宗教と科学とを結びつける共通項を探り、いかにすれば人類はより幸せに生きられるか、というテーマを探求し語り合ってきたのです。

法王は、仏教と科学との対話には両方にメリットがあると話されます。

「幸せは、仏教でいう祈りや瞑想ではなく、人間の中の感情や本質を見極め、それを明らかに認識し、信心の心ではなく科学的アプローチで訓練することによって生まれてくるものである。科学的アプローチによって一人ひとりが心の中の平和を得、それがひいては世界平和を達成する手段となる」

「もし科学が証明した事実が仏教の教えと矛盾するのなら、教えのほうを変えることも検討すべきだ」

 まさに柔軟で謙虚、物事に囚われることなく真理を求める真摯な姿には敬服しないではいられません。もちろん、法王は科学のみを信奉しているわけではありません。いまの科学で解明できないから真実ではないという考え方は、明確に否定しています。科学で分からないことは無数にあるからです。

村上は生命科学者の立場から、
「心と体、あるいは物質と精神、宗教的なものと科学的なものが、『遺伝子と心』というところで一つに繋がるのではないか」と将来への期待を込めながら、法王にお伝えしました。
村上は「サムシング・グレート」について、宗教者と科学者はアプローチや方法に違いはあるものの、対話は可能であると日頃から考えていたので、法王との対話の機会が得られたことは大変な喜びだったのです。

法王は
「私は必ずしも宗教的な倫理観が必要とは思っていないのです。モラルというものは必ずしも宗教的な面から出てくる必要はありません。世俗の倫理観が持っている可能性、あるいはその能力で十分であるとお話ししているわけなのです。ですから世俗的な倫理観、宗教に対する信心という二つの方向性から人間の可能性を高めていけるのではないかと考えます」と述べられました。 

「近代の世の中は、科学者の様々な発見が宗教的な信心の裏づけとなり、またそういうものが一つに合わさって、いろいろなことを考えていかなくてはならない時代に入ってきています。私は人に対する愛や思いやり、優しさが心の平和、精神的な健康面において非常に重要であり、それには科学と宗教の両方の見方が大切なのではないか。それは村上先生がおっしゃる遺伝子的な観点からも裏づけられると思うのです」

法王は、人間が生まれながらに善であることを信じていて、それは宗教よりもより根源的なものであると考えられているのだと思います。

私(スタッフS)は日本で開催された「宗教と科学の対話」講演会に参加した際、ダライ・ラマ法王が大変科学的な考え方をされることに驚きました。新しい世界を開く鍵は、「科学と宗教の融合」かもしれない、と感じました。