『致知』連載第十回「冒険家・三浦雄一郎の生き方から学ぶこと」


『致知』連載中の村上和雄「生命科学研究者からのメッセージ」。四月号のテーマは

「冒険家・三浦雄一郎の生き方から学ぶこと」

以下要約です・・・

南米大陸最高峰のアコンカグア。八十六歳の三浦雄一郎氏は、この標高六千九百六十一メートルの頂点を目指して、今年一月に現地へと向かった。しかし、標高約六千メートル地点まで進むも、同行した医師の判断に従ってそれ以上の前進を断念。登頂という偉業達成は、残念ながら実現には至らなかった。

しかし、村上は、「結果はどうであれ、加齢による衰えに屈することなく、挑戦する心を持ち続ける冒険家・三浦雄一郎氏に敬意を表したい。なぜなら彼の生き方は、人間の可能性を強く信じて一歩一歩努力を重ねていけば、未知への扉は必ず開くという実例を、私たちに示し続けてきてくれたから」と賛辞を贈る。

三浦雄一郎氏といえば、二〇〇三年、七十歳にして世界最高齢でエベレスト登頂を果たし、その後、七十五歳、八十歳でも登頂を成功させた世界的な冒険家である。村上は雄一郎氏と十年来の親交を持つ。なぜ前人未到の挑戦を続ける雄一郎氏のような冒険家が生まれたのか?村上は、彼を取り巻く環境、ひいては彼の積極的な生き方そのものが遺伝子のスイッチをオンにした、と考える。

 雄一郎氏は、日本初のプロスキーヤーとして生きる道を模索していた二十代後半、一九六四年のイタリアで開催されたスピードスキー競技「キロメーターランセ」の世界大会に出場し、当時日本人初参加のこの大会において、世界記録を叩き出した。

雄一郎氏の中にあった、「人がやらないことをやって生きていこう」という遺伝子のスイッチはオンになったのだ。

そしてその後、パラシュートでスピードを制御しながら行った富士山直滑降、さらに一九七〇年には、エベレスト大滑降をやってのけた。直滑降している時の時速は実に百八十キロメートルにもなるというのだから、驚くばかりである。まさに世界中の人々の度肝を抜いた挑戦であった。そして、一九八五年には七大陸最高峰すべてで滑降を実現したのだ。

しかしその後、彼は、日本各地から講演会に招かれ、歓待され、美味しいものを食べ続け、体重は増え、ついには標高五百メートルの山にすら息が上がって登れないような状態になってしまう。そんな雄一郎氏を横目に淡々とトレーニングを重ね、モンブランで最も長い氷河のスキー滑降をはじめ、世界の山々を滑り歩いていたのが、まもなく九十歳を迎えようとしていた父・敬三氏だ。また、次男の豪太氏はリレハンメル冬季オリンピックにおいて、モーグル選手として活躍していた。

このままではいけない。そう思って雄一郎氏が自らを奮い立たせ、再び立ち上がろうとしたのは六十五歳の時。それが七十歳にしてエベレストに登頂するという宣言だった。人は幾つになっても、自ら目標を立て、それに向かって努力を続けていけば必ず夢は叶う。そのことを、彼は七十歳にして証明して見せた。

七十五歳で再びエベレスト登頂を果たした雄一郎氏だが、実はこの時、不整脈(心房細動)という大変なリスクを抱えていた。権威ある医師たちから計画反対の声が上がる中、手術を請け負ってくれる医師と巡り合い、彼は世界最高齢でのエベレスト登頂という記録を打ち立てた。

しかもこの後、スキー中に腰の骨を折り、寝たきりになってしまうような大怪我をして、なお、リハビリを乗り越え、八十歳でみたびエベレスト登頂に成功するという、偉業をやってのけたのだ。

「年を重ねても何かに挑戦する情熱と勇気、そしてそれを達成させるための強い執念によって人生は明るく楽しくなる。そして、生き甲斐は人に想像以上のパワーを与えてくれる」  

雄一郎氏のこの言葉に、村上は深い共感を覚えるという。村上が六十三歳で大学を退官した際、将来に対する不安といったものより、むしろ新しいことに挑戦しようというワクワクした気持ちが大いに勝っていた、というのだ。

村上は、雄一郎氏の生きる姿勢から、人間の持つ情熱、強い思いというのは、身体全体の働きを活性化させる、という確信を得たのだ。