『致知』連載第九回「江崎玲於奈先生と私」


『致知』連載中の村上和雄「生命科学研究者からのメッセージ」。三月号のテーマは「江崎玲於奈先生と私」

以下、要約です…

一九七三年にノーベル物理学賞を受賞され、九十歳を超えられたいまなお現役で活躍されている江崎玲於奈氏。アメリカを拠点に研究活動を続けていた江崎氏が1992年に日本に戻ってくるきっかけとなったのは、筑波大学学長就任でした。その立役者の一人が村上和雄です。

筑波大学は一九七三年の発足時に、「開かれた大学」「柔軟な教育研究組織」「新しい大学の仕組み」といった基本理念を掲げていたものの、既に当初の勢いは失われつつありました。また、優秀な人物が他の大学に引き抜かれるといったこともあって、何か手を打たなければという思いに駆られていたのです。

そのなかで出てきたアイデアが、「江崎玲於奈先生」を筑波大学の学長に、だったのです。

もっとも、江崎先生にはすぐにご快諾いただけたわけではありません。学長になっていただくには、アメリカから日本への移住、そして民間企業から国立大学の学長になるという二つの大きな障壁があったからです。それから二、三年を経てようやくのこと正式な出馬表明をしていただく運びとなったわけですが、いざ出馬となった時点で、学内派と呼ばれる人たちからの反対の声が強く、学内が真っ二つに割れてしまった。そのため、選挙戦は相当の苦戦でした。

村上は若手研究者に、「江崎玲於奈先生を推す若手の会」の発足を促し、江崎先生への質問事項をまとめた「若手教官から江崎玲於奈博士への要望」を、直接江崎先生に送ったのでした。するとすぐに返事がファクスで届きました。タイトルは「若手への道」。その全文が、江崎先生の直筆で綴られていたのです。「これがあれば、勝てるかもしれない」。そう直感した村上は、ファクスのコピーを取ると、早速学内中に配り始めました。既に学長選まで残された時間はあと一週間。いまだ有効な手立てを打てぬままにいた時のことでした。すると、どうでしょう。この一件で形勢が大きく動き、若手の圧倒的多数が江崎先生の支持に回ったのです。その結果、学長選挙当日には一回目の選挙で江崎先生が圧勝し、遂に筑波大学の五代目学長への就任が決まったのでした。まさに逆転満塁ホームランさながらの出来事だったのです…

江崎先生直筆の“若手への道”

 先ず、若手の方々から、このような声が上がったこと自体、私は大へん嬉しく思います。皆さんは、当然、筑波大学の一翼を担い、教育と研究活動になくてはならない役割を演じておられるに違いありません。そして今回、若手にまつわる諸問題を提示され、その改善を通じて「筑波大学の再建と発展に尽くしたい」という意志を伝えて下さったこと、大いに心強く思いました。たしかに、筑波大学だけでなく、一般的に日本の社会は、「長幼序あり」とか「大器晩成」などの通念のもと、若手は割の合わない仕事を押しつけられ、独自性をもって自由闊達な活動ができ難い風土です。更にまた、アメリカに比べますと、教育においても、わが国では若者を自己の価値観を備えた真の意味の独立人間として育てていない側面もあります。こう考えますと、要望書の中にある皆さん方の不満は、日本のカルチャーに関係するだけに根の深いものがあるように思われます。

 ところで一方、文化、学術上の革新の多くは、歴史的にみても、統計上も、若手によってなされていることは周知の通りです。今世紀の初頭、古典力学に挑戦して量子力学を確立させた若手研究者をみても明らかです。私ごとですが、ノーベル賞を戴くことになったエサキトンネルダイオードは私が三十二才のときの仕事です。(中略)

 私はよく若い研究者に、冗談半分なのですが、ノーベル賞受賞のため、してはいけない五つの条件を話します。

一、従来の行き掛かりにとらわれてはいけない。若者はせっかくの飛躍のチャンスを見失うからです。

二、大先生にのめり込んではいけない。自由奔放な若さを失う。

三、何でも溜め込んではいけない。若者でも脳のメモリー容量には限度がある。無用のものは捨て、新知識のためのスペースをあける。

四、戦うことを避けてはいけない。若者は独立精神と勇気を失う。

五、不感症になってはいけない。自然の驚異に感動する初々しさを失う。

勿論、これは必要条件、充分条件ではありません。私達が研究を進めるモードを敢えて二つに分けますと、一つは常に相手を意識し、競争心に燃えて仕事をする競争モードと、もう一つは、わが道を行く、自分の道を切り開く独自モードです。後者はリスクも多く、険しいかもしれませんが、過去の例をみても新しい萌芽が生まれる創造的業績はこの道を選んだ若者達によって成就されています。(中略)

 私が学長になり、筑波大学の発展と日本の学術の振興に、いささかの貢献が出来るのではないかと思い至ったのは、実は皆さん方若手に賭けているのだ、ということを知って戴きたいと思います。

学長退任後も筑波との縁を第一に考えられた江崎先生は、茨城県科学技術振興財団で理事長を務めるなど、地元つくばの活性化のために、そして日本の科学発展のために、いまなお尽力してくださっています。

・・・若い人たちのエネルギーを存分に生かし切れない、むしろ型にはめたり押さえつけたりする日本社会の息苦しさは当時も今も、あまり変わっていないように感じます。そして、この手紙を読んだ若い研究者たちが、江崎玲於奈学長誕生に、熱い希望を持ったであろうことが、時空を超えて感じられました。