こころじ~んブログ

祈りは遺伝子を活性化する ~論文第一報~

 

村上が魂を込めて取り組む「祈りと遺伝子」研究の成果第一報が、Human Genomicsの9月付けに掲載されています。

https://humgenomics.biomedcentral.com/articles/10.1186/s40246-017-0117-3

論文タイトル下記

Distinct transcriptional and metabolic profiles associated with empathy in Buddhist priests: a pilot study

Junji Ohnishi, Satoshi Ayuzawa, Seiji Nakamura, Shigeko Sakamoto, Miyo Hori, Tomoko Sasaoka, Eriko Takimoto-Ohnishi, Masakazu Tanatsugu and Kazuo Murakami

Human Genomics (2017) 11: 21

密教仏教僧侶と一般人の比較を行った結果、僧侶群に、慈悲の心に通ずる「共感性」と関連する「抗ウィルス性遺伝子」「血中代謝物マーカー」を見出しました。このことは、継続的な宗教的行為(祈りなど)が心身の健康を強化する、という仮説の実証になると考えています。私たちは今後も、宗教性と遺伝子発現に関する研究を深化させてまいります。

 

Neuroscience 2017

 

アメリカ(Washington, DC)で開催された国際学会Neuroscience2017で「笑うねずみ」の研究報告をしてきました。参加者3万人、発表者1万5千人以上の大規模な学会です。世界中から多くの神経科学者が集うのでセキュリティーも厳しいです。

心と遺伝子研究会のHPやFacebookで何度かご紹介したように、私たち研究会は、人の笑いや祈りなどのポジティブな感情の基礎的なメカニズムを明らかにするために、仔ねずみの遊びのモデルを使って研究をしています。

皆さんがご存知のように、人や動物は仲間と遊びを通して社会性を発達させて、仲間との関係性を築く能力や子育する能力などを培っていきます。そうした仲間との遊びを通した刺激は社会性だけでなく、脳の発達にも大きく関わっていることが分かってきています。

仔ねずみは仲間と遊ぶときなど、ポジティブな状態にあると、人には聞こえない50kHzの超音波の鳴き声を出します。このねずみの50kHzの鳴き声は、人の笑い声の原型ではないかとサイエンスで紹介されてます。これまでの私たちの研究で、ねずみを遊ばせると、この50kHzの笑い声を出すのと同時に、脳内の側坐核という場所で、幸福感や嬉しいという感情を引き起こすドパミンという神経伝達物質を分泌させるということを証明しました。ねずみのモデルを使うことで、遊びが直接脳内の神経細胞に影響をあたえていることが分かったのです。この側坐核で分泌されるドパミンは、やる気や意欲に関わるなど大事な役割を担っています。

今回の学会では、ドパミンを阻害する薬をこの脳部位に入れると、遊びで笑い声が引き起こされるない(阻害される)ということを報告しました。遊びと嬉しいという感情との関係性を、さらに詳細に確認したものです。

米国でこの研究を中心的にやっている写真のBurgdorf氏とディスカッションもしてまいりました。アプローチは少し違うものの、彼らの研究からも陽性感情のもつ効能は、私たちの研究結果と同じ方向性を示しているので、お互いの結果を語らいうんうんと共感しました。

笑いなどのポジティブな感情がストレスを軽減させ、心身の健康に大事だという認識は広まっていますが、子供たちにとって遊びも、彼らの成長に大切な役割があるということも、どんどん明らかにしていきたいと思っております。

 

以前、米国のサイエンティフィックアメリカンの電子版に、私たちの研究が紹介されておりましたので再度ご紹介いたします。

https://blogs.scientificamerican.com/scicurious-brain/to-calm-a-rat-with-tickling/

いつも、研究会を支えて下さっている皆さまや、研究にご協力いただいている皆さまに感謝申し上げます。

スタッフHori

 

『君のやる気スイッチをONにする遺伝子の話』

村上和雄の新刊のご紹介です。この本には、鹿児島の県立高校で行われた村上の講演記録、高校生との質疑応答、講演後に高校生達が書いてくれた感想文が掲載されています。特に質疑応答の質問が、核心を突いた内容であることに感動します。そして、その感想文からは、これからの日本を担う若い人たちの心に、村上の思いが届いたことが確信できて、胸が熱くなりました。どんな世代の方にもおススメできる一冊です。

以下amazon書籍紹介~

内容紹介

遺伝子工学の世界的権威・村上和雄氏。本書は平成24年、鹿児島の高校で約1,000名の生徒たちを対象に行われた講演会を書籍化したものです。
難解と思われがちな生命科学や遺伝子の話ですが、独特のユーモアや身近な例を交えての講演に、生徒たちもグングン引き込まれていきます。そんな彼らの真剣さに呼応するように、自らの歩みを振り返る著者の話もまた熱を帯びていきます。
心の持ち方によって遺伝子の働きが変わる、利他的な遺伝子の存在、私たちの体を動かしている何十兆もの細胞の存在……。巻末には生徒たちのこんな感想が収録されています。
「村上先生のお話をきいて思ったのは、人間の可能性は無限大なんだということでした」 「才能のある人とない人の差は縮まらない。そう思っていましたが、実は眠っている遺伝子を起こして、才能を開花させるのは結局自分次第だということがわかり、嬉しかったです」

お子様、お孫様へのプレゼントにも、ぜひおすすめしたい一冊です。

…………
目次
…………

遺伝子が目覚めれば人生が変わる――講演

・学校の偏差値と優れた研究は必ずしも一致しない
・実の親から実の子へと受け継がれる遺伝子
・心の持ち方によって遺伝子の働きが変わ
・笑いと遺伝子のオン・オフのかかわりを研究する
・笑いが糖尿病患者の血糖値の上昇を抑制した
・笑いは副作用のない薬になるかもしれない
・どこの国の神話にも笑いが描かれている
・大ピンチのときにこそ笑いが大切になる
・ダライ・ラマ十四世との出会い
・六十三歳で大学を卒業、私の人生はこれからだ
・日本の誇りをかけて取り組んだイネの遺伝子暗号解読
・極微の空間に書き込まれた生物の遺伝子暗号
・遺伝子暗号を書いたのは目に見えないサムシング・グレート
・生きているということはそれだけですごいこと
・六十兆の細胞が互いに助け合って私たちの体を動かしている
・利己的な遺伝子だけでなく、利他的な遺伝子がある
・赤ちゃんは生物の三十八億年の歴史が生み出した最高傑作
・人間の年齢は宇宙生命で換算すると百三十七億歳
・「みんなちがって、みんないい」――自分と人を比較しない
・二十一世紀には日本人の時代が来る
・世界に称賛される日本のフォー・アザーズの伝統
・他人のために働くことが自分にとっての大きな幸せになる

村上先生と一問一答――質疑応答

・他人を気にしすぎると自己肯定力が落ちてしまう
・遺伝子と環境因子の相互作用で人格や行動が決まる
・遺伝子操作は慎重にも慎重を重ねて行わなければいけない
・科学の発見とは絶対的真理ではなく、真理に近づくプロセス
・ほがらかな気持ちが病気の発症を抑える

講演を聞いて――感想文

花緑の幸せ入門「笑う門には福来る」のか?~スピリチュアル風味~ 柳谷花緑 著

ご紹介します。

22歳で戦後最年少真打ちとなった落語家、柳家花緑。順風満帆にみえる彼には、実は学習障害があり、通知表は1か2、漢字が分からず本を読むこともできなかった。初めて本を読めたのは18歳。なぜかピンときた、幸せとは何かを問う本だった―。それ以来、落語家として活躍しながらも、独学で漢字を学び続け、幸せについて考え続けてきた。ある時「笑う門には福来たる」ということわざにそのヒントがあるのではないかと思い至り、本書の執筆を決意。自らの体験と、祖父で師匠の人間国宝5代目小さん、筑波大学名誉教授・村上和雄氏、故・小林正観氏など多くの人に支えられながら導き出した答えとは―。画期的な幸せ入門書!

書籍紹介⇒ http://www.takeshobo.co.jp/book_d/shohin/5530843

柳谷花緑さんといえば人間国宝・五代目柳谷小さん(永谷園のCMに出てましたよね!)の孫でエリート落語家さんです。戦後最年少で真打ちになったそうですが、実は小さいころ学習障害があったそうです。漢字が苦手だそうですが、落語はすべて聞いて覚えたのだそうです。「笑い」をテーマに書かれたこの本には村上和雄との対談が収録されています。この本は花緑さんの正直で飾らないお人柄が滲み出た、ちょっとスピリチュアルな視点からの生き方論が書かれていて、読むと、気持ちは前向きに、あったかくなります。ええかっこしい、のところがなくてご自身の迷いや、実践した中で気づいたことが素直に書かれています。あらためて、村上の研究テーマでもある「笑い」は、幸せの秘訣だと思いました。花緑さんの落語を聴いて大笑いしたいです( ◠‿◠ )!

見えない世界を信じることからすべてが始まる『致知』10月号

写真撮影:山下武

「致知」生命(いのち)のメッセージ連載第106回目の対談は、奈良県天理市に佇む日本最古の神社の一つ石上(いそのかみ)神宮の宮司、森正光氏と、日本人の神道的生き方について語り合っていただいた一部をご紹介いたします。
村上和雄の故郷天理市にある石上神宮は、武門の棟梁たる物部氏の総氏神として祀られてきたのですが、その歴史は「古事記」「日本書紀」に初めて神宮として名前が出てくる最古の神社だそうで、卑弥呼の時代の百年後くらいに物部氏がお祀りしていたとのことです。

森「神武天皇が東征して大和に来られた時に、熊野の軍勢の毒気に当てられて天皇以下軍勢一同が仮死状態になられてしまう。それを知って、高天原から建御雷神様(たけみかずちのかみさま)の剣『布都御魂(ふるのみたま)』が降ろされ、その剣を神武天皇がもたれた途端、熊野の軍勢はあっという間に討伐され、『私は何と長く寝ていたことか』とおっしゃられたというのが記紀にでてきます。そのときの神剣がお祀りされたのが石上神宮です。     

村上「その神剣は今も祀られているのですか」                    

森「ええ。現在も主祭神である布都御魂大神のご神体としてお祀りされています。石上神宮は古代豪族物部氏の氏神で、物部氏のご先祖は饒速日命(にぎはやひのみこと)という神様になります」

村上「いまは学校で神話を教えないから饒速日命と言われてもわからない人が多いだろうな

森「それはありますね。そもそもなぜ神武天皇が大和を目指されたのか。それは神武天皇が『日本の国で一番素晴らしいところはどこか』と尋ねられ、それに対して塩土老翁(しおつちのおじ)という神様が『ちょうど日本の国の真ん中で、青垣なす山々に囲まれた素晴らしいところがある』と答えられた。ただしそこには、すでに饒速日命が高天原(たかまがはら)から降りてきて治めていると。『そんなに素晴らしいところがあるのなら、私もそこに行ってみようではないか』ということから神武東征が始まるのですが、この話からも神武天皇以前から物部氏の遠祖となる饒速日命によって大和の国が治められていたであろうことがわかります」

村上「日本の歴史が持つ懐の深さを感じさせる話ですね」

森「神職のプロとして目指すべきところは宗教的人格を高めることです。神職にとって一番の仕事は神様に対する奉仕で、その次に来るのがお掃除すること。これも奉仕にあたるわけで、お掃除というのは格好良く言えば心の掃除でもあるんですよ。そういった神様に対する奉仕の姿勢を氏子さんたちが見られることで、自ずと氏子さんたちの中に私たちは守られているんだという意識が芽生えてくる」

「神道とは信じるか信じないかの世界であって、言葉を変えれば、感じる宗教であると。何となく境内に入って、「ああ、神々しいな。ここにはきっと神様がいはるんだ」といった感じです。私たち神職にとっては、見えない世界を信じることが何よりの役目だと言っても良いと思います。神様とか仏様にしてもそうなんですけど、目には見えない。見えないけど、実際にはいる。・・・信じることからすべてが始まる。・・・五感すべてで感じるようなものを持ち合わせていたいものですね。『古事記』『日本書紀』に記されている神話についても、そういった感覚で接することが大切なのではないかと思います」

村上「そもそも日本人の精神の中に、そういった神話の世界が生きていると思います。例えば、「おかげさま」という言葉がありますが、これは外国語には訳せない。外国人は「なんのおかげですか?」ときいてくるんですよ。でも我々にしてみれば、神様でもご先祖様でも、自分を少し超えたような存在を感じていればそれでいいんです。「おかげ」というのは影なんですね。表じゃない。これは陰と陽の世界にも通ずる話であって、現れた現象の後ろにあるものに対して、われわれ日本人は「おかげさま」という。それから「もったいない」という言葉も訳せないんですよ。単に「節約する」という意味ではなくて、そのものをつくってくれたひとへの感謝の念があらわされている。こういった日本の精神的伝統というのは、それこそ何千年と続いてきているわけで、そう簡単には消えるものではないと私は思っております。」

森「特に大和というのは、青垣なす山々に囲まれており、石上神宮から見渡してみると、二上山(にじょうざん)、大和葛城山(やまとかつらぎさん)、金剛山が連なり、三輪山(みわやま)もある。こうした雄大な景色というのは、かつて饒速日命や神武天皇も見られた世界であって、現代を生きる私たちもまた見ることができるというのはほんとうに素晴らしいことですよね。それだけにこういった自然をずっと先まで残していくこともまた、われわれの大切な役割だと思っております。」

お二人の対談を読んでいますと、不思議に自分が清らかで静謐な神社や森の中にいるような気持になりました。日本の神話の神々は現代にも生きていると感じます。そして日本人である私たちの中の深いところが感応するのではないでしょうか。

音楽を通じて与えられた自分の役割を果たす『致知』9月号

写真撮影:山下武

「致知」 生命(いのち)のメッセージ 連載第105回目の対談は、ニューヨーク・シティ・オペラで正指揮者を長年務めるなど、世界で認められるプロ指揮者・山田あつし氏。一度は病のために音楽の道を諦めるも、被災地支援活動をきっかけに再起を果たし、いまも多くの子供たちに夢と希望を与え続ける。そんな山田氏の活動を、村上和雄が伺いました。一部をご紹介いたします。

山田あつし氏は東日本大震災の被災地支援プロジェクト「ハンド・イン・ハンド」の活動を続けていらっしゃいます。これは、被災地3県(岩手・宮城・福島)の高校生を中心とした合唱団を結成してニューヨークに連れて行き、現地のプロの声楽家や大学生たちとともに、リンカーン・センターで共演するというプログラムで、震災翌年からスタートし、今年の3月で6回目を迎えたそうです。始めたきっかけとは…

山田 「僕の職歴とも関係するのですが、もともと僕は音大を出ていないんです。早稲田大学で地学を勉強して、卒業後日本IBM の営業、ソニー生命の保険外交員を経て、32歳でニューヨーク・シティ・オペラに入りました」

村上「それはまたえらくユニークなご経歴ですね(笑)」

山田 「・・・高校時代に合唱団に入って・・・大学でも、「早稲田大学グリークラブ」で歌っていまして、そこで指揮をしてくださっていた福永陽一郎先生が僕の恩師なんです。大学をでたらもう一度音楽を勉強し直したいと思っていたのですが、『日本は音大の免状がないと仕事がないぞ』と諭されて、日本IBMに就職しました。ところが3年後に福永先生が他界されて、先生はアマチュア団体を始めいろんなところで指揮をされていたため、僕に先生の後釜になってくれという話がいくつかきたんです。」

「その後3回忌の時に同じことをお願いされて困っていたところ、ソニー生命からヘッドハンティングで声がかかって、会社は月木の午前中だけいけばOKだったので転職とともにアマチュアとして音楽活動を再開しました。」

やがて山田氏は会社からのサポートもあり、阪神淡路大震災後に地元のオーケストラと組んで被災した方を励ますための演奏会など、音楽を通した社会貢献を続けられたそうです。その活動の中で、被災地に対する支援は物資だけではなく、災害を被った人たちが自分たちの手で復興していくための知恵を得る方法が必要と考え、それが「ハンド・イン・ハンド」に繋がったそうです。

山田 「実は2007年、46歳の時に病気で倒れまして、一命はとりとめましたが左半身が全然動かない。当時ニューヨークではオペラを月に20本とか、他のオーケストラの仕事に加えて東ヨーロッパに行くなど、移動かリハーサルか本番か、みたいな生活が5年くらい続いていました。当然指揮は無理だし、普通の生活もままなりません。当時はほぼ人生諦めていました。収入もなくなり、保険には入っていなかったので障がい者手当をもらって鬱々としながら毎日を過ごしていました。」

村上「よくその状態から復帰することができましたね。」

山田 「1年半くらいはそんな状況でしたけど、ある日指揮の依頼がイスラエルのエルサレムから届いて、何だろうと思ったら、僕が倒れる3年前にエルサレムにある音楽アカデミーのオーディションがあって、その結果がなぜかそのころに届いた。主治医に正直に事情をお話ししたところ、まだ時間があるから頑張りましょうと言ってくれたので、そこからですね、身を入れてリハビリに取り組み始めたのは」

「おかげさまでその演奏会を何とか終えることができたんですけど、客席には僕がお世話になっていた国連大使の大島賢三さんが親しくされていたイスラエルの外務省の方々が聴きに来てくださっていて、公演後に話をしていて、翌年の日本とイスラエル国交50周年国際交流フォーラムのプロデュースを依頼されました。その準備中に東日本大震災が起きて、フォーラムは中止になったのですが、その企画を被災地復興支援に使えないかと、大島さんからのアドバイスがあって、「ハンド・イン・ハンド」に繋がっていったのです。」

村上「しかし、アマチュア指揮者からニューヨーク・シティ・オペラでプロの指揮者に上りつめられたというのも並大抵のことではないと思うな」

山田 「どうせ指揮者になるなら小澤征爾さんみたいに世界の舞台で働きたいと思ったんですが、そのためにどうすればいいかわからない。とりあえず、自分でホールを借りてオーケストラや歌手を雇いながら演奏会をやって、5年目には念願のオペラで指揮を振ることができたんです。そのオペラで日本の若者にチャンスをあげようと、歌手は日本人を集めたのですが、彼らから『なんで音大も出ていない保険屋に指揮されなきゃいけないんだ』といわれて」

「悔しくて、それならいっそアメリカで勉強したいと、無謀にもニューヨーク・シティ・オペラを訪ねて、うまいこと音楽監督の助手として入れてもらえたんです。ただし、給料は払いませんよと。その代わり週に一回音楽監督が僕に教えてくれる、それでいいか、と。そのとき、ソニー生命会長の盛田正明さんが救いの手を差し伸べてくれて、休職手続きの手はずや営業活動支援をしてくださったんです」

全てを捨ててゼロから始める覚悟をもってつかんだチャンス、また、その後も大変な病気を乗り越えられて、奇跡的な復活をされた、まさに「天は自ら助くる者を助く」という言葉を思い出すお話しです。

山田「一年後指揮者として正式に認められ、その後20年をニューヨーク・シティ・オペラで過ごしてきました。世界のトップアーティストとしての仕事ができて、世界の一流の現場でやっている人たちの音楽家としての姿勢を身近で見られたことはものすごく貴重でした」

村上「日本にいるとどうしても日本のことしかわからない。人間、自分が今いるところがすべてだと思いがちですけど、そうじゃないということがわかるのは非常に大切だと思います」

山田 「今先生がおっしゃったようなことは「ハンド・イン・ハンド」に参加した高校生全員が言いますよ。「アメリカに行って、初めて日本のことを見直せた」って」

村上「遺伝子にはオンとオフがあってそのスイッチが切り替わるには環境によるところが大きいんです。ですから、高校生たちの見方が変わったというのは、環境の変化と関係あるだろうし、震災に遭ったこととか、アメリカでの人との出会いというのも大きいと言えるでしょうね」

山田 「・・・僕は高校生に向かってよく言うんですよ。「今日この部屋にこのメンバーが集まる確率を考えてみよう」って。・・・人と人との繋がりっていうのは、とても貴重なことなんだよねって」

「僕自身、昔はそんなこと思いつきもしなかったんですけど、病気をして、とても復帰なんて考えられる状態ではなかった時期に徐々に考えるようになりました。ただ、半身不随になった直後は、とてもそんなんじゃなかった。なんでひと思いに殺してくれなかったんだろうって、ずっと思っていましたから。ところが、どういうわけか、東日本大震災を機に東北の高校生たちと出会い、合唱を教えるうちにどうやら自分の役割ってまだあるんだなと思いました。神様の存在とか、っていう見方が正しいかどうかわかりませんが、今は「自分をどうとでも使ってくれ」みたいな気持ちですね」

村上「魂を込めてという表現があるでしょう。人には魂のようなものがあることは直感的に感じているんです。我々の体の細胞はものすごい勢いで新しい細胞と入れ替わっている。しかも自分たちの体で何かを作り出しているというわけではなく、もともとは全部地球の元素であって借り物に過ぎないんです。ですから、時が来たら、いずれは返さなければならない。誰に返すのかといえば大自然で、だから我々は大自然に生かされているんですよ」

山田 「これからの自分の役割を考えた時に、やはりその中核が「ハンド・イン・ハンド」の活動で、少しでも社会のためになるような人づくりのお手伝いができれば・・・そのためには自分も人間的に成長しなければいけないのでできる限り頑張る、という感じですね」

全ての人が勇気づけられる対談でした。

 

心に響く明かりの創造を求めて『致知』8月号

「致知」生命(いのち)のメッセージ 連載第104回目の対談は、日本の照明デザインの第一人者にして、世界でも数々のプロジェクトを成功に導いてこられた照明デザイナーの石井幹子さんです。村上和雄が、照明を通じて光の美を人々の心に届け続ける石井さんの歩みを伺いました。一部をご紹介いたします。

村上 「石井先生とはニッポン放送番組審議会でご一緒するようになってからのご縁なので十年くらいのお付き合いになりますね」

石井 「先日村上先生の本を買いまして…その中で実践しようと思ったのが、自分の細胞に向かって「ありがとう」と感謝を伝えることですね。今こうして自分が存在していることがどれだけ大変なことか、それがとってもよくわかりましたねぇ」

石井幹子さんは照明デザインという仕事が日本に無かった時代に、ヨーロッパに単身で渡り、照明器具や建築照明のデザインを学ばれたそうです。

石井 「私の仕事がどういうものか知ってもらううえで一番わかりやすかったのは東京タワーでしょうね。あまり人気のなかった東京タワーを平成元年に照明して以来、すっかり人気スポットになりました。東京タワーの照明が照明の効果を証明した…東京タワーの夜景が見えるというだけですぐにマンションの借り手や買い手があらわれ、これがきっかけで夜景に価値があることが皆さんにわかっていただけたと思います」

「おかげさまでその後はレインボーブリッジ、瀬戸大橋、明石海峡大橋など当時盛んにつくられた大型橋梁の照明をほとんどやらせていただきました」「夜景を綺麗にするとその地域一帯における経済波及効果が十一倍にもなるんですよ」

夜の東京タワーは本当に綺麗です。私は夜、都内で東京タワーが見えると嬉しくなります。この素晴らしい夜景を生み出したのは石井幹子さんだったのです。今、日本の美しい夜景を私たちが楽しめるのも石井幹子さんのおかげですね。

ヨーロッパから戻りフリーランスで仕事を始めたころ大阪万博が開催され、石井さんはどんどん活躍の場を広げられました。けれども、やがて石油ショックで国内の景気は悪くなります。そんななか、石井さんにサウジアラビアの迎賓館のお仕事が来て、

石井 「その時に悟ったんです。たとえ日本に仕事がなくても、世界のどこかには唸るほど仕事があるんだって」「仕事を進めていくうえで困難はつきものですけど、何があってもこれは神様の思し召しだと思うようにしてきました。何か悪いことが起こったときに、これは何かのお計らいなんだと…それはもう十人十色ですけど、それぞれに何か与えられているものがあるんじゃないでしょうか」

村上「大きな仕事をされる方にはやはり天の味方というのがあって、僕はそこにサムシング・グレートの働きを感じるんですよ。…もし仮にそういったものを引き寄せることができるとしたら、それは感動だと思うんです。…感動があるからそこに行動が生まれる。石井先生のお仕事には喜びと感動があふれていますね」

石井 「私が30代後半からやっていたライトアップ・キャラバンはまさにそれでした。海外の美しい夜景を見るにつけ、日本都市の貧しい夜の景観が気になって…自分で京都市景観照明計画をつくって市役所に持って行きましたが全然聞いてくれない。そこで許可を得て、二条城と平安神宮の大鳥居とその界隈を照明したんです。その後も札幌、仙台、金沢、名古屋、大阪、広島、熊本などでやっていきました。あの当時、よくそれで経済的にやってこられたと思いますけど、始めて8年後に横浜市からご依頼があってようやく仕事に結びつきました」「でもその8年間っていうのは自分が楽しくてしょうがなかったんです。闇に埋もれた建造物に光を当てて、わぁ綺麗だって、自分で感動していました。だから何の頓着もなかった」

村上 「身銭を切るという精神は、やはり素晴らしいと思いますね」

石井 「私としては、心に響く明かりを創りたいという一心でこれまでやってきました」

村上 「『ふと浮かぶは神心、あとで濁すは人間心』という言葉があって、人間というのはふと浮かんだものを、そんなことできるはずがないと否定してしまうことがある。でも、本当はふと浮かぶというのは、サムシング・グレートからのメッセージだと僕は思うな」

石井幹子さんのお話を伺って、自分が喜びながらするお仕事は神様のお仕事だなぁと感じました。

 

上写真撮影:坂本泰士

関西ウーマン 関西・祈りをめぐる物語

関西で暮らす・働く女性が発信するライフスタイルコミュニティサイト「関西ウーマン」の、「中島未月の関西・祈りをめぐる物語」で、村上和雄がインタビューを受けました。

さまざまな分野の方への取材で繋いできた「関西・祈りをめぐる物語」。
第十回は遺伝子工学の世界的権威、筑波大学名誉教授の村上和雄先生に「祈りの未来」をテーマにお話を伺いました。

遺伝子の研究を進めるうちに“人の思いが遺伝子の働きを変える”ことを確信するようになったという村上先生。現在、最先端の遺伝子工学により「心の持ち方」や「祈り」によって良い遺伝子が働くことを科学的に研究されています。

一方で、「どれだけ科学が発展しても、自然界には人間の力では不可能だと思うことのほうがはるかに多い。遺伝子暗号を解読するほどに、生命の不思議さ、人知を超えた大自然の偉大な力を感じます」と、見えるものだけでなく、目に見えないものを信じることの大切さを独自の理論で説かれています。

科学者の視点で語られる「祈り」は、命、魂、さらに地球、宇宙へと広がり、壮大なスケールの「命の物語」をお聞かせいただきました。

インタビュー記事は下記URLからお読みください。

https://www.kansai-woman.net/theme562.html

絵は自分の心を映し出す鏡 『致知』7月号

「致知」7月号 生命(いのち)のメッセージ連載・第103回目の対談は、力強い色彩をもって圧倒的な迫力で迫ってくる作品群で多くのファンを魅了するとともに、画家として四十年以上にわたって日本の美術界をリードしてきた絹谷幸二氏。その画風の原点には、生まれ育った奈良の土地柄が大きく影響しているそうです。写真の後ろには絹谷氏の代表作長野冬季五輪ポスターとなった「銀嶺の女神」が。素晴らしい色彩の豊かさと崇高さに目を奪われます。対談の一部を抜粋します。

フレスコ画とは、古くは紀元前にラスコーやアルタミラの洞くつで描かれた壁画にまで遡る古典的画法だそうです。絹谷幸二氏はこの技法をイタリアで学び、スケールの大きな鮮やかな絵画を数多く描かれています。その技法は、

絹谷 「…まず壁に漆喰を塗ります。そうすると表面に氷のような被膜が浮き出てきますので、それが乾かないうちに水で溶いた顔料で絵を描いていくと、ごく自然にコーティングされていくんですね。…壁のほうから顔料を捕まえに来る。そのためフレスコ画は顔料を新鮮なまま保つことができる画法でもあるんです。…しかも空気中の炭酸ガスが吸収されることで漆喰が石灰岩となって固まることから、植物が光合成するときと同じように我々が吐き出す炭酸ガスを吸い取ってくれているわけで、これは本当に凄いことですよ」

氏がフレスコ画を学んだイタリアには、中世ヨーロッパの趣が色濃く残っていて、日本における奈良に似ていると感じられたそうです。そしてイタリアに行って、ご自身の故郷である奈良の本当の価値に気づいたそうです。

絵の醍醐味

絹谷 「後に富士山に憧れて、晩夏から初秋の朝日に生える赤富士や、朝日が雪に当たった時に現れる紅富士などを好んで描くようになりました。…その富士山を形づくっている石灰岩や赤土といった成分が長い時間かけて水に溶け・・・川を下って、海に注がれ、それをプランクトンが食し、エビカニが摂取し、やがて人間の血肉となる。そう考えていると、富士山を描いている自分と風景とは別個のものではなく同じものだということにあるとき気がつきましてね」

村上 「私たち人間を含めた地球上のあらゆる存在を構成する元素は、すべて地球からの借り物だから同じものだと言えますね」

絹谷 「…私たち人間の体も借り物だという感覚は以前から何となくあったのですが、まさに先生のおっしゃるとおりで、私はそのことに大変感動しました」

村上 「絹谷先生はそういった感動をもって、これまでずっと絵を描いてこられたのですね」

絹谷 「画家として本来鍛えるべきはテクニックではなく、ハートなんです。本当に不思議なもので、絵というものは自分の鏡のように、ハートが映し出される。…心眼でガッと見ますと、だいたい十秒か十五秒くらいで、その絵を描いた人の心の中がパッと分かってくる。…仮にいま生きている方はごまかせるとしても、よほど心がポーンと入ってないと、三百年後に生きている人とは語り合えなくなるんですよ。これが絵の怖いところであると同時に、醍醐味であると私は思うのです」

色のある世界

絹谷 「『般若心経』には「色即是空」という言葉があって、一般的に宗教家の方は「色」というのは形だとおっしゃるんですね。つまりかたちあるものはないと。でも私はこの「色」とは色のことを指していると思うんですよ。つまり色のない世界がある。…夜の世界や…私はスキューバダイビングをやるんですけど、海面から三十メートルくらい潜るとパッと色彩が無くなる」

絹谷 「その一方で、『華厳経』などには花一輪存在することの尊さが書かれていますが、まさにそのとおりで、花というのは非常に人間に近いと思うんです。…私たちは筆と絵の具を使って絵を描いていますが、花は筆も絵の具もないのに自分の体にあれだけの色を付けている。でも彼らは決してそれを見せるためにやっているわけではなく、寄ってきた蜂や蝶を介して命を繋いでいきたいという強い思いのようなものをもっていると思うんです」

村上 「花にも心があるかという問題があって、ダライ・ラマ法王はないというんですよ。ところが日本の科学者は人間と同じような心はなくても、心のようなものがあるのではないかと言っています」

村上 「絹谷先生の作品はどれも色鮮やかですが、やはり奈良で生まれ育った影響が大きいのでしょうか」

絹谷 「そのことに関しては二十八歳の時にイタリアに留学したのがよかったのだと思っています。…ヴェネツィア駅で、列車を降りて、駅の外に出た瞬間にパッと自由な風が吹いているのを感じたんですよ。それが衝撃的で、街を見渡すとヴェネツィアンレッドや鮮やかなブルーなどの色がそこかしこに…それまでの自分は真面目、清潔、時間に正確という日本人が持っている良さを追及しているような人間で、…絵も無彩色のものばかりかいていたんですよ。ところが駅に降りた途端、それまで自分が作り上げてきた世界がパーッとほどけた。とにかく一所懸命やるだけだったのが、面白がって絵を描けるようになったおかげで、自分でもいいなって思える作品ができるようになったのが大きな変化でしたね」

村上は「環境を変えることが遺伝子のスイッチをオンにする」といいます。絹谷氏がヴェネツィア駅の外に出た時は、遺伝子のスイッチがオンになった瞬間だったのかもしれない、と感じました。目の前に鮮やかな光景が映画をみるように浮かび上がってきました。

不動明王の如く

絹谷 「最近では、大阪の梅田スカイビルに常設美術館『絹谷幸二 天空美術館』をつくりました。その一角には私の絵が3Dの大画面で展示されているんですよ。こうした取り組みは初めてのようですが、やはり芸術家というのは進取の気性を発揮して、時代の切っ先に身を置いていかなきゃいけないと思うんです。もちろんこれまで継承されてきたものを大切にするのも大事ですが、その反対のことも同時に行う。穏やかに穏やかにという中に、不動明王のごとく強い気持ちで前進していかなければいけません」

村上 「私もぜひ一度、絹谷先生の新しい挑戦を拝見しに、その美術館に行きたいですね」

撮影:山下武

スポーツで人の意識、社会の意識を変える『致知』6月号

撮影:山下武

「致知」 生命(いのち)のメッセージ 連載第102回目の対談は、陸上男子四百メートルハードルの日本記録保持者であり、オリンピックをはじめ数々の世界大会で活躍された為末大氏です。現役時代は「走る哲学者」の異名をとり、引退後も多彩な活動を続ける為末氏と村上和雄が、意識を変えることで人間の可能性が広がることについて語り合いました。対談の場は新豊洲Brilliaのランニングスタジアムです。一部をご紹介いたします。

村上 「現役を退かれた後も、会社の経営やテレビ出演、インターネットでの大学運営など、実に多才ですね。こちらの練習場も為末さんの会社が運営なさっていると伺いました。」

為末 「パラリンピック選手の義足を作る会社もやっていまして、障がいのある選手も、そうでない選手も、当たり前のように一緒に練習する風景を実現したくて、この練習場を立ち上げました。スポーツには人の意識を変える大きな力があると僕は思っています。現役を退いたアスリートの活動は様々ですが、僕はそうしたスポーツの力によって社会に何かを提供していきたいんです。」

「特に興味をもっているのは、マインドセット、簡単に言えば人の思い込みとか常識のことですけど、これが変わる瞬間です。例えば、義足を履いた幅跳びの選手がいるんですけど、健常人とほとんど変わらない記録になってきて、いずれ抜いてしまうと思うんです。そうした人間と道具との融合が当たり前になったら、世の中の常識やこれまで人が抱いてきた思い込みも大きく変わる気がするものですから、そんな新しい世界を、こういう施設を使いながらちょっと覗いてみたいんです」

「現役のころから、自分は本当はどこまでいけるのだろう、自分の限界を決めるのはなんだろうといつも考えていました。たぶん思い込みによって自分の能力にブレーキをかけている部分が大きいと思う・・・つまり思い込みとか、常識とか、自分が自分に貼っているレッテルに人間がすごく影響されているんじゃないか、というのを感じていました」

確かに多くの人は自分の心で自分の限界を勝手に決めているように思います。もし、その限界だという思い込みを外すことができれば、思いがけない力を発揮できるのかもしれません。

村上 「・・・僕は五十年前にアメリカに渡って研究活動をしたんですけど、給料は日本の十倍、教科書でしか知らない大先生に会えるという、大きな環境の変化によって遺伝子のスイッチがオンになったと思います。・・・科学には昼の科学と夜の科学があります。昼の科学は論理、理性、知性の世界。一方「ナイトサイエンス」と呼ばれる夜の科学は、感性、直観、インスピレーションで、こっちのほうが大きな仕事ができるんです。」

「ナイトサイエンス」は夜、お酒を飲んで語り合っているときにひらめく勘だそうです。そういう時は理性的なたがが外れ、常識という思い込みが消え、全く新しい発想が生まれることがあるようです。では、為末氏の陸上選手としてのスイッチを入れてくれたものとは何だったのでしょうか?

為末 「走るのはもともと早く、中学時代の百メートルのタイムは十秒六で、全国一でした。・・中学校の時の先生から、授業中にマンガを読んでいるのを見つかって、どうせ読むならと、陸上競技の運動を力学的に解説した本を渡されました。そこに書かれた、体が前に進む理屈がよく理解できて、それを自分で表現したいという思いが強くなったんです。・・・高校になって体の成長もタイムの伸びも止まってしまい、なんとか自分の工夫で勝てるものはないかと考えて、ハードルは運動能力以外のいろんな要素が絡んでくる複雑な競技なので、この世界だったらいけるんじゃないかと思って転向しました。」

為末氏はとても論理的な方だと感じました。これからのスポーツ選手はそれぞれのポテンシャルを最大限に生かすための分析力が必要なのだと感じました。それはもちろんスポーツ選手に限らず、誰でも、自分の持つ資源をよく知って、強みを生かすことが大事だと感じました。

ものごとを長く続ける秘訣について、

為末 「一番の源泉になったのが好奇心ですね。自分が本当はどこまでいけるのか、よくわからないまま終わるのが嫌で、.それを知りたいという欲求が大きかった。・・・競技成績も重要なんですけど、それとともに分からなかったことがわかるようになる喜びというのも、競技生活を続けていくうえではとても大切だと思います。」

村上 「それは科学の世界にも通じるお話ですね。アインシュタインは「あなたは天才ですね」と言われて、「いや、私は天才ではない。好奇心が強いだけだ」と答えていますが、知らないことを知りたいという欲求の大切さというのはいろんな分野に当てはまるわけですね」

為末 「何かを知るために夢中になること、そういう根源的な欲求に訴えかけることが重要で、そのためには日々何か工夫をしながら生きていくということが重要なのではないかと思います。長く陸上競技を続けてきて、最後は自分によってたつという覚悟を定められました。最後の五、六年はずっと一人で練習していたので、自分とは何か、自分はなぜこう思うんだろうかといったことをずっと考えていました。」

まさに哲学者、求道者のような姿だと感じます。

2020年の東京オリンピックに向けては、

為末 「スポーツの大きな役割って、マインドセットを変えることだと僕は思っています。東京オリンピックではかなりの選手が自己ベストを更新すると思うんですけど、そういう姿を見て、多くの人が自分にはここまでしかできないという思い込みを打開してほしい。そして世の中全体のマインドセットがよいほうに変わればいいという思いがあります。それは僕の応援するパラリンピックにも期待していることです。」

村上 「僕らはともすればメダルの数にとらわれてしまいがちですけれども、確かに為末さんがおっしゃるように、一過性の感動にとどめるのではなく、日本の未来に向けた転機にしていくことが大事だと思います」

東京オリンピックが、日本がもっと良い国に変わっていくための、エポックメイキングになってほしいと思いました。