こころじ~んブログ

音楽を通じて与えられた自分の役割を果たす『致知』9月号

写真撮影:山下武

「致知」 生命(いのち)のメッセージ 連載第105回目の対談は、ニューヨーク・シティ・オペラで正指揮者を長年務めるなど、世界で認められるプロ指揮者・山田あつし氏。一度は病のために音楽の道を諦めるも、被災地支援活動をきっかけに再起を果たし、いまも多くの子供たちに夢と希望を与え続ける。そんな山田氏の活動を、村上和雄が伺いました。一部をご紹介いたします。

山田あつし氏は東日本大震災の被災地支援プロジェクト「ハンド・イン・ハンド」の活動を続けていらっしゃいます。これは、被災地3県(岩手・宮城・福島)の高校生を中心とした合唱団を結成してニューヨークに連れて行き、現地のプロの声楽家や大学生たちとともに、リンカーン・センターで共演するというプログラムで、震災翌年からスタートし、今年の3月で6回目を迎えたそうです。始めたきっかけとは…

山田 「僕の職歴とも関係するのですが、もともと僕は音大を出ていないんです。早稲田大学で地学を勉強して、卒業後日本IBM の営業、ソニー生命の保険外交員を経て、32歳でニューヨーク・シティ・オペラに入りました」

村上「それはまたえらくユニークなご経歴ですね(笑)」

山田 「・・・高校時代に合唱団に入って・・・大学でも、「早稲田大学グリークラブ」で歌っていまして、そこで指揮をしてくださっていた福永陽一郎先生が僕の恩師なんです。大学をでたらもう一度音楽を勉強し直したいと思っていたのですが、『日本は音大の免状がないと仕事がないぞ』と諭されて、日本IBMに就職しました。ところが3年後に福永先生が他界されて、先生はアマチュア団体を始めいろんなところで指揮をされていたため、僕に先生の後釜になってくれという話がいくつかきたんです。」

「その後3回忌の時に同じことをお願いされて困っていたところ、ソニー生命からヘッドハンティングで声がかかって、会社は月木の午前中だけいけばOKだったので転職とともにアマチュアとして音楽活動を再開しました。」

やがて山田氏は会社からのサポートもあり、阪神淡路大震災後に地元のオーケストラと組んで被災した方を励ますための演奏会など、音楽を通した社会貢献を続けられたそうです。その活動の中で、被災地に対する支援は物資だけではなく、災害を被った人たちが自分たちの手で復興していくための知恵を得る方法が必要と考え、それが「ハンド・イン・ハンド」に繋がったそうです。

山田 「実は2007年、46歳の時に病気で倒れまして、一命はとりとめましたが左半身が全然動かない。当時ニューヨークではオペラを月に20本とか、他のオーケストラの仕事に加えて東ヨーロッパに行くなど、移動かリハーサルか本番か、みたいな生活が5年くらい続いていました。当然指揮は無理だし、普通の生活もままなりません。当時はほぼ人生諦めていました。収入もなくなり、保険には入っていなかったので障がい者手当をもらって鬱々としながら毎日を過ごしていました。」

村上「よくその状態から復帰することができましたね。」

山田 「1年半くらいはそんな状況でしたけど、ある日指揮の依頼がイスラエルのエルサレムから届いて、何だろうと思ったら、僕が倒れる3年前にエルサレムにある音楽アカデミーのオーディションがあって、その結果がなぜかそのころに届いた。主治医に正直に事情をお話ししたところ、まだ時間があるから頑張りましょうと言ってくれたので、そこからですね、身を入れてリハビリに取り組み始めたのは」

「おかげさまでその演奏会を何とか終えることができたんですけど、客席には僕がお世話になっていた国連大使の大島賢三さんが親しくされていたイスラエルの外務省の方々が聴きに来てくださっていて、公演後に話をしていて、翌年の日本とイスラエル国交50周年国際交流フォーラムのプロデュースを依頼されました。その準備中に東日本大震災が起きて、フォーラムは中止になったのですが、その企画を被災地復興支援に使えないかと、大島さんからのアドバイスがあって、「ハンド・イン・ハンド」に繋がっていったのです。」

村上「しかし、アマチュア指揮者からニューヨーク・シティ・オペラでプロの指揮者に上りつめられたというのも並大抵のことではないと思うな」

山田 「どうせ指揮者になるなら小澤征爾さんみたいに世界の舞台で働きたいと思ったんですが、そのためにどうすればいいかわからない。とりあえず、自分でホールを借りてオーケストラや歌手を雇いながら演奏会をやって、5年目には念願のオペラで指揮を振ることができたんです。そのオペラで日本の若者にチャンスをあげようと、歌手は日本人を集めたのですが、彼らから『なんで音大も出ていない保険屋に指揮されなきゃいけないんだ』といわれて」

「悔しくて、それならいっそアメリカで勉強したいと、無謀にもニューヨーク・シティ・オペラを訪ねて、うまいこと音楽監督の助手として入れてもらえたんです。ただし、給料は払いませんよと。その代わり週に一回音楽監督が僕に教えてくれる、それでいいか、と。そのとき、ソニー生命会長の盛田正明さんが救いの手を差し伸べてくれて、休職手続きの手はずや営業活動支援をしてくださったんです」

全てを捨ててゼロから始める覚悟をもってつかんだチャンス、また、その後も大変な病気を乗り越えられて、奇跡的な復活をされた、まさに「天は自ら助くる者を助く」という言葉を思い出すお話しです。

山田「一年後指揮者として正式に認められ、その後20年をニューヨーク・シティ・オペラで過ごしてきました。世界のトップアーティストとしての仕事ができて、世界の一流の現場でやっている人たちの音楽家としての姿勢を身近で見られたことはものすごく貴重でした」

村上「日本にいるとどうしても日本のことしかわからない。人間、自分が今いるところがすべてだと思いがちですけど、そうじゃないということがわかるのは非常に大切だと思います」

山田 「今先生がおっしゃったようなことは「ハンド・イン・ハンド」に参加した高校生全員が言いますよ。「アメリカに行って、初めて日本のことを見直せた」って」

村上「遺伝子にはオンとオフがあってそのスイッチが切り替わるには環境によるところが大きいんです。ですから、高校生たちの見方が変わったというのは、環境の変化と関係あるだろうし、震災に遭ったこととか、アメリカでの人との出会いというのも大きいと言えるでしょうね」

山田 「・・・僕は高校生に向かってよく言うんですよ。「今日この部屋にこのメンバーが集まる確率を考えてみよう」って。・・・人と人との繋がりっていうのは、とても貴重なことなんだよねって」

「僕自身、昔はそんなこと思いつきもしなかったんですけど、病気をして、とても復帰なんて考えられる状態ではなかった時期に徐々に考えるようになりました。ただ、半身不随になった直後は、とてもそんなんじゃなかった。なんでひと思いに殺してくれなかったんだろうって、ずっと思っていましたから。ところが、どういうわけか、東日本大震災を機に東北の高校生たちと出会い、合唱を教えるうちにどうやら自分の役割ってまだあるんだなと思いました。神様の存在とか、っていう見方が正しいかどうかわかりませんが、今は「自分をどうとでも使ってくれ」みたいな気持ちですね」

村上「魂を込めてという表現があるでしょう。人には魂のようなものがあることは直感的に感じているんです。我々の体の細胞はものすごい勢いで新しい細胞と入れ替わっている。しかも自分たちの体で何かを作り出しているというわけではなく、もともとは全部地球の元素であって借り物に過ぎないんです。ですから、時が来たら、いずれは返さなければならない。誰に返すのかといえば大自然で、だから我々は大自然に生かされているんですよ」

山田 「これからの自分の役割を考えた時に、やはりその中核が「ハンド・イン・ハンド」の活動で、少しでも社会のためになるような人づくりのお手伝いができれば・・・そのためには自分も人間的に成長しなければいけないのでできる限り頑張る、という感じですね」

全ての人が勇気づけられる対談でした。

 

心に響く明かりの創造を求めて『致知』8月号

「致知」生命(いのち)のメッセージ 連載第104回目の対談は、日本の照明デザインの第一人者にして、世界でも数々のプロジェクトを成功に導いてこられた照明デザイナーの石井幹子さんです。村上和雄が、照明を通じて光の美を人々の心に届け続ける石井さんの歩みを伺いました。一部をご紹介いたします。

村上 「石井先生とはニッポン放送番組審議会でご一緒するようになってからのご縁なので十年くらいのお付き合いになりますね」

石井 「先日村上先生の本を買いまして…その中で実践しようと思ったのが、自分の細胞に向かって「ありがとう」と感謝を伝えることですね。今こうして自分が存在していることがどれだけ大変なことか、それがとってもよくわかりましたねぇ」

石井幹子さんは照明デザインという仕事が日本に無かった時代に、ヨーロッパに単身で渡り、照明器具や建築照明のデザインを学ばれたそうです。

石井 「私の仕事がどういうものか知ってもらううえで一番わかりやすかったのは東京タワーでしょうね。あまり人気のなかった東京タワーを平成元年に照明して以来、すっかり人気スポットになりました。東京タワーの照明が照明の効果を証明した…東京タワーの夜景が見えるというだけですぐにマンションの借り手や買い手があらわれ、これがきっかけで夜景に価値があることが皆さんにわかっていただけたと思います」

「おかげさまでその後はレインボーブリッジ、瀬戸大橋、明石海峡大橋など当時盛んにつくられた大型橋梁の照明をほとんどやらせていただきました」「夜景を綺麗にするとその地域一帯における経済波及効果が十一倍にもなるんですよ」

夜の東京タワーは本当に綺麗です。私は夜、都内で東京タワーが見えると嬉しくなります。この素晴らしい夜景を生み出したのは石井幹子さんだったのです。今、日本の美しい夜景を私たちが楽しめるのも石井幹子さんのおかげですね。

ヨーロッパから戻りフリーランスで仕事を始めたころ大阪万博が開催され、石井さんはどんどん活躍の場を広げられました。けれども、やがて石油ショックで国内の景気は悪くなります。そんななか、石井さんにサウジアラビアの迎賓館のお仕事が来て、

石井 「その時に悟ったんです。たとえ日本に仕事がなくても、世界のどこかには唸るほど仕事があるんだって」「仕事を進めていくうえで困難はつきものですけど、何があってもこれは神様の思し召しだと思うようにしてきました。何か悪いことが起こったときに、これは何かのお計らいなんだと…それはもう十人十色ですけど、それぞれに何か与えられているものがあるんじゃないでしょうか」

村上「大きな仕事をされる方にはやはり天の味方というのがあって、僕はそこにサムシング・グレートの働きを感じるんですよ。…もし仮にそういったものを引き寄せることができるとしたら、それは感動だと思うんです。…感動があるからそこに行動が生まれる。石井先生のお仕事には喜びと感動があふれていますね」

石井 「私が30代後半からやっていたライトアップ・キャラバンはまさにそれでした。海外の美しい夜景を見るにつけ、日本都市の貧しい夜の景観が気になって…自分で京都市景観照明計画をつくって市役所に持って行きましたが全然聞いてくれない。そこで許可を得て、二条城と平安神宮の大鳥居とその界隈を照明したんです。その後も札幌、仙台、金沢、名古屋、大阪、広島、熊本などでやっていきました。あの当時、よくそれで経済的にやってこられたと思いますけど、始めて8年後に横浜市からご依頼があってようやく仕事に結びつきました」「でもその8年間っていうのは自分が楽しくてしょうがなかったんです。闇に埋もれた建造物に光を当てて、わぁ綺麗だって、自分で感動していました。だから何の頓着もなかった」

村上 「身銭を切るという精神は、やはり素晴らしいと思いますね」

石井 「私としては、心に響く明かりを創りたいという一心でこれまでやってきました」

村上 「『ふと浮かぶは神心、あとで濁すは人間心』という言葉があって、人間というのはふと浮かんだものを、そんなことできるはずがないと否定してしまうことがある。でも、本当はふと浮かぶというのは、サムシング・グレートからのメッセージだと僕は思うな」

石井幹子さんのお話を伺って、自分が喜びながらするお仕事は神様のお仕事だなぁと感じました。

 

上写真撮影:坂本泰士

関西ウーマン 関西・祈りをめぐる物語

関西で暮らす・働く女性が発信するライフスタイルコミュニティサイト「関西ウーマン」の、「中島未月の関西・祈りをめぐる物語」で、村上和雄がインタビューを受けました。

さまざまな分野の方への取材で繋いできた「関西・祈りをめぐる物語」。
第十回は遺伝子工学の世界的権威、筑波大学名誉教授の村上和雄先生に「祈りの未来」をテーマにお話を伺いました。

遺伝子の研究を進めるうちに“人の思いが遺伝子の働きを変える”ことを確信するようになったという村上先生。現在、最先端の遺伝子工学により「心の持ち方」や「祈り」によって良い遺伝子が働くことを科学的に研究されています。

一方で、「どれだけ科学が発展しても、自然界には人間の力では不可能だと思うことのほうがはるかに多い。遺伝子暗号を解読するほどに、生命の不思議さ、人知を超えた大自然の偉大な力を感じます」と、見えるものだけでなく、目に見えないものを信じることの大切さを独自の理論で説かれています。

科学者の視点で語られる「祈り」は、命、魂、さらに地球、宇宙へと広がり、壮大なスケールの「命の物語」をお聞かせいただきました。

インタビュー記事は下記URLからお読みください。

https://www.kansai-woman.net/theme562.html

絵は自分の心を映し出す鏡 『致知』7月号

「致知」7月号 生命(いのち)のメッセージ連載・第103回目の対談は、力強い色彩をもって圧倒的な迫力で迫ってくる作品群で多くのファンを魅了するとともに、画家として四十年以上にわたって日本の美術界をリードしてきた絹谷幸二氏。その画風の原点には、生まれ育った奈良の土地柄が大きく影響しているそうです。写真の後ろには絹谷氏の代表作長野冬季五輪ポスターとなった「銀嶺の女神」が。素晴らしい色彩の豊かさと崇高さに目を奪われます。対談の一部を抜粋します。

フレスコ画とは、古くは紀元前にラスコーやアルタミラの洞くつで描かれた壁画にまで遡る古典的画法だそうです。絹谷幸二氏はこの技法をイタリアで学び、スケールの大きな鮮やかな絵画を数多く描かれています。その技法は、

絹谷 「…まず壁に漆喰を塗ります。そうすると表面に氷のような被膜が浮き出てきますので、それが乾かないうちに水で溶いた顔料で絵を描いていくと、ごく自然にコーティングされていくんですね。…壁のほうから顔料を捕まえに来る。そのためフレスコ画は顔料を新鮮なまま保つことができる画法でもあるんです。…しかも空気中の炭酸ガスが吸収されることで漆喰が石灰岩となって固まることから、植物が光合成するときと同じように我々が吐き出す炭酸ガスを吸い取ってくれているわけで、これは本当に凄いことですよ」

氏がフレスコ画を学んだイタリアには、中世ヨーロッパの趣が色濃く残っていて、日本における奈良に似ていると感じられたそうです。そしてイタリアに行って、ご自身の故郷である奈良の本当の価値に気づいたそうです。

絵の醍醐味

絹谷 「後に富士山に憧れて、晩夏から初秋の朝日に生える赤富士や、朝日が雪に当たった時に現れる紅富士などを好んで描くようになりました。…その富士山を形づくっている石灰岩や赤土といった成分が長い時間かけて水に溶け・・・川を下って、海に注がれ、それをプランクトンが食し、エビカニが摂取し、やがて人間の血肉となる。そう考えていると、富士山を描いている自分と風景とは別個のものではなく同じものだということにあるとき気がつきましてね」

村上 「私たち人間を含めた地球上のあらゆる存在を構成する元素は、すべて地球からの借り物だから同じものだと言えますね」

絹谷 「…私たち人間の体も借り物だという感覚は以前から何となくあったのですが、まさに先生のおっしゃるとおりで、私はそのことに大変感動しました」

村上 「絹谷先生はそういった感動をもって、これまでずっと絵を描いてこられたのですね」

絹谷 「画家として本来鍛えるべきはテクニックではなく、ハートなんです。本当に不思議なもので、絵というものは自分の鏡のように、ハートが映し出される。…心眼でガッと見ますと、だいたい十秒か十五秒くらいで、その絵を描いた人の心の中がパッと分かってくる。…仮にいま生きている方はごまかせるとしても、よほど心がポーンと入ってないと、三百年後に生きている人とは語り合えなくなるんですよ。これが絵の怖いところであると同時に、醍醐味であると私は思うのです」

色のある世界

絹谷 「『般若心経』には「色即是空」という言葉があって、一般的に宗教家の方は「色」というのは形だとおっしゃるんですね。つまりかたちあるものはないと。でも私はこの「色」とは色のことを指していると思うんですよ。つまり色のない世界がある。…夜の世界や…私はスキューバダイビングをやるんですけど、海面から三十メートルくらい潜るとパッと色彩が無くなる」

絹谷 「その一方で、『華厳経』などには花一輪存在することの尊さが書かれていますが、まさにそのとおりで、花というのは非常に人間に近いと思うんです。…私たちは筆と絵の具を使って絵を描いていますが、花は筆も絵の具もないのに自分の体にあれだけの色を付けている。でも彼らは決してそれを見せるためにやっているわけではなく、寄ってきた蜂や蝶を介して命を繋いでいきたいという強い思いのようなものをもっていると思うんです」

村上 「花にも心があるかという問題があって、ダライ・ラマ法王はないというんですよ。ところが日本の科学者は人間と同じような心はなくても、心のようなものがあるのではないかと言っています」

村上 「絹谷先生の作品はどれも色鮮やかですが、やはり奈良で生まれ育った影響が大きいのでしょうか」

絹谷 「そのことに関しては二十八歳の時にイタリアに留学したのがよかったのだと思っています。…ヴェネツィア駅で、列車を降りて、駅の外に出た瞬間にパッと自由な風が吹いているのを感じたんですよ。それが衝撃的で、街を見渡すとヴェネツィアンレッドや鮮やかなブルーなどの色がそこかしこに…それまでの自分は真面目、清潔、時間に正確という日本人が持っている良さを追及しているような人間で、…絵も無彩色のものばかりかいていたんですよ。ところが駅に降りた途端、それまで自分が作り上げてきた世界がパーッとほどけた。とにかく一所懸命やるだけだったのが、面白がって絵を描けるようになったおかげで、自分でもいいなって思える作品ができるようになったのが大きな変化でしたね」

村上は「環境を変えることが遺伝子のスイッチをオンにする」といいます。絹谷氏がヴェネツィア駅の外に出た時は、遺伝子のスイッチがオンになった瞬間だったのかもしれない、と感じました。目の前に鮮やかな光景が映画をみるように浮かび上がってきました。

不動明王の如く

絹谷 「最近では、大阪の梅田スカイビルに常設美術館『絹谷幸二 天空美術館』をつくりました。その一角には私の絵が3Dの大画面で展示されているんですよ。こうした取り組みは初めてのようですが、やはり芸術家というのは進取の気性を発揮して、時代の切っ先に身を置いていかなきゃいけないと思うんです。もちろんこれまで継承されてきたものを大切にするのも大事ですが、その反対のことも同時に行う。穏やかに穏やかにという中に、不動明王のごとく強い気持ちで前進していかなければいけません」

村上 「私もぜひ一度、絹谷先生の新しい挑戦を拝見しに、その美術館に行きたいですね」

撮影:山下武

スポーツで人の意識、社会の意識を変える『致知』6月号

撮影:山下武

「致知」 生命(いのち)のメッセージ 連載第102回目の対談は、陸上男子四百メートルハードルの日本記録保持者であり、オリンピックをはじめ数々の世界大会で活躍された為末大氏です。現役時代は「走る哲学者」の異名をとり、引退後も多彩な活動を続ける為末氏と村上和雄が、意識を変えることで人間の可能性が広がることについて語り合いました。対談の場は新豊洲Brilliaのランニングスタジアムです。一部をご紹介いたします。

村上 「現役を退かれた後も、会社の経営やテレビ出演、インターネットでの大学運営など、実に多才ですね。こちらの練習場も為末さんの会社が運営なさっていると伺いました。」

為末 「パラリンピック選手の義足を作る会社もやっていまして、障がいのある選手も、そうでない選手も、当たり前のように一緒に練習する風景を実現したくて、この練習場を立ち上げました。スポーツには人の意識を変える大きな力があると僕は思っています。現役を退いたアスリートの活動は様々ですが、僕はそうしたスポーツの力によって社会に何かを提供していきたいんです。」

「特に興味をもっているのは、マインドセット、簡単に言えば人の思い込みとか常識のことですけど、これが変わる瞬間です。例えば、義足を履いた幅跳びの選手がいるんですけど、健常人とほとんど変わらない記録になってきて、いずれ抜いてしまうと思うんです。そうした人間と道具との融合が当たり前になったら、世の中の常識やこれまで人が抱いてきた思い込みも大きく変わる気がするものですから、そんな新しい世界を、こういう施設を使いながらちょっと覗いてみたいんです」

「現役のころから、自分は本当はどこまでいけるのだろう、自分の限界を決めるのはなんだろうといつも考えていました。たぶん思い込みによって自分の能力にブレーキをかけている部分が大きいと思う・・・つまり思い込みとか、常識とか、自分が自分に貼っているレッテルに人間がすごく影響されているんじゃないか、というのを感じていました」

確かに多くの人は自分の心で自分の限界を勝手に決めているように思います。もし、その限界だという思い込みを外すことができれば、思いがけない力を発揮できるのかもしれません。

村上 「・・・僕は五十年前にアメリカに渡って研究活動をしたんですけど、給料は日本の十倍、教科書でしか知らない大先生に会えるという、大きな環境の変化によって遺伝子のスイッチがオンになったと思います。・・・科学には昼の科学と夜の科学があります。昼の科学は論理、理性、知性の世界。一方「ナイトサイエンス」と呼ばれる夜の科学は、感性、直観、インスピレーションで、こっちのほうが大きな仕事ができるんです。」

「ナイトサイエンス」は夜、お酒を飲んで語り合っているときにひらめく勘だそうです。そういう時は理性的なたがが外れ、常識という思い込みが消え、全く新しい発想が生まれることがあるようです。では、為末氏の陸上選手としてのスイッチを入れてくれたものとは何だったのでしょうか?

為末 「走るのはもともと早く、中学時代の百メートルのタイムは十秒六で、全国一でした。・・中学校の時の先生から、授業中にマンガを読んでいるのを見つかって、どうせ読むならと、陸上競技の運動を力学的に解説した本を渡されました。そこに書かれた、体が前に進む理屈がよく理解できて、それを自分で表現したいという思いが強くなったんです。・・・高校になって体の成長もタイムの伸びも止まってしまい、なんとか自分の工夫で勝てるものはないかと考えて、ハードルは運動能力以外のいろんな要素が絡んでくる複雑な競技なので、この世界だったらいけるんじゃないかと思って転向しました。」

為末氏はとても論理的な方だと感じました。これからのスポーツ選手はそれぞれのポテンシャルを最大限に生かすための分析力が必要なのだと感じました。それはもちろんスポーツ選手に限らず、誰でも、自分の持つ資源をよく知って、強みを生かすことが大事だと感じました。

ものごとを長く続ける秘訣について、

為末 「一番の源泉になったのが好奇心ですね。自分が本当はどこまでいけるのか、よくわからないまま終わるのが嫌で、.それを知りたいという欲求が大きかった。・・・競技成績も重要なんですけど、それとともに分からなかったことがわかるようになる喜びというのも、競技生活を続けていくうえではとても大切だと思います。」

村上 「それは科学の世界にも通じるお話ですね。アインシュタインは「あなたは天才ですね」と言われて、「いや、私は天才ではない。好奇心が強いだけだ」と答えていますが、知らないことを知りたいという欲求の大切さというのはいろんな分野に当てはまるわけですね」

為末 「何かを知るために夢中になること、そういう根源的な欲求に訴えかけることが重要で、そのためには日々何か工夫をしながら生きていくということが重要なのではないかと思います。長く陸上競技を続けてきて、最後は自分によってたつという覚悟を定められました。最後の五、六年はずっと一人で練習していたので、自分とは何か、自分はなぜこう思うんだろうかといったことをずっと考えていました。」

まさに哲学者、求道者のような姿だと感じます。

2020年の東京オリンピックに向けては、

為末 「スポーツの大きな役割って、マインドセットを変えることだと僕は思っています。東京オリンピックではかなりの選手が自己ベストを更新すると思うんですけど、そういう姿を見て、多くの人が自分にはここまでしかできないという思い込みを打開してほしい。そして世の中全体のマインドセットがよいほうに変わればいいという思いがあります。それは僕の応援するパラリンピックにも期待していることです。」

村上 「僕らはともすればメダルの数にとらわれてしまいがちですけれども、確かに為末さんがおっしゃるように、一過性の感動にとどめるのではなく、日本の未来に向けた転機にしていくことが大事だと思います」

東京オリンピックが、日本がもっと良い国に変わっていくための、エポックメイキングになってほしいと思いました。

 

祈り-天・人・地 ~見えざる世界の未知なる可能性~

映画「祈り」上映と講演会のイベントが開催されます。

関西の皆さま是非お集まりください!

【開催日時】2017年8月6日(日)11:00~17:00

【会場】大阪市立住吉区民センター大ホール

【入場料】前売8,000円 当日9,000円

【お申込み】下記(こくちーず)よりお申し込みください。

http://kokucheese.com/event/index/458906/

【お問い合わせ】Email :cosmic_drem@pure.zaq.jp 代表:川口真由美

最高の幸せは出逢いの中にある『致知』5月号

撮影:山下武

撮影:山下武

『致知』生命(いのち)のメッセージ 連載第101回目の対談は、世界を舞台に活躍するプリマドンナ・佐藤しのぶさんです。日本人でありながら、ヨーロッパの華やかな文化の粋ともいえるオペラの主役を歌われている佐藤しのぶさん。音楽一家のエリートかと思っていたのですが、意外にもお父様は銀行員でお母さまは主婦という、日本的なご家庭だったそうです。ではなぜ、文化の違いを乗り越えて、活躍することができたのでしょうか。対談の一部をご紹介いたします。

村上 「・・・オペラというのはヨーロッパ文化でしょう。そこに日本人である佐藤さんが活躍できるというのは、どんな秘訣があるのでしょうか」

佐藤 「・・・西洋人が生んだ西洋文化の華であるオペラに日本人が挑戦することは、決して簡単なことではありませんが、勤勉な日本人だからこそできることがあると考えました。言語も風習も違い、西洋の長い歴史と文化は私たちの価値観とは異なります。・・・しかし、違うからこそ、異文化を常に謙虚に注意深く検証し、努力することができると思いました。」

一人っ子で競争が苦手で、お父様からは「お前のことはよく知っているから言うけど、悪いことは言わない、おまえにオペラはむかないよ」とまで言われたそうですが

佐藤 「・・・でも、私はオペラに恋をしてしまいました。先生も、「惚れる」と遺伝子のスイッチがオンになると仰られていますね。私はまさか自分がヨーロッパに行ってオペラの主役を歌うなんて夢にも思っていませんでした。ただ、オペラってなんて素晴らしいんだろうという憧れと情熱だけでしたね。だから私にとってはヨーロッパで歌うことが頂点ではなくて、素晴らしい作品を歌うことができれば幸せでした」

「・・・日本人の私が苦労して歌わなくても、本場の人たちが歌えるわけでしょう。それなら私なんかいなくても全然構わないとよく考えます。でもその一方で、こうして生かされているからには、何か使命があるのだろうと、・・・少しでも世の中のお役に立てるよう自分を磨いていきたいなと思うんです。私、自分のためだけには頑張れないんです。・・・成功や名誉を意識した途端に、人間は本当に大切なものを失うように思います。エゴや、邪念に囚われたら終わりだ、みたいな。」

オペラに恋する!やはり「惚れる」ことはあらゆるものごとを成すための一番強い原動力なのですね。佐藤しのぶさんは素晴らしく成功されていて、とても華やかな方ですが、同時に日本人的な慎ましやかさや謙虚さをもっていらっしゃって、それがヨーロッパの方にも魅力的に映るのではないかと感じました。

佐藤 「先生のご本の中に細胞は他の細胞を助ける働きをするとありますね。それは音楽と似ていると思います。・・・ハーモニーというのは、私は音楽の世界だけでなく、人間同士が生きていくうえで大事なものだと思います。一人ひとりの考え方や思考は違っても、お互いを尊重し、力を合わせることで、想像を超える素晴らしいものを創っていくことができる。」

村上 「そのとおりですね。・・・心臓は心臓、肝臓は肝臓といったように形作られ、・・・最初からプログラムされている。しかし、心臓なら心臓、肝臓なら肝臓がそれぞれ別の働きをするためには、細胞同士が共生しなければうまくいきません。ぼくはそこに、他の細胞を助けなさいという利他の遺伝子の働きがあると思うんですよ。つまり細胞同士がハーモニーを持つためのプログラムもちゃんと書いてある。」

お二人の話から、音楽とは人間の根源的なものから生まれたものかもしれないと思いました。

村上 「・・・僕は最近になって日本人には使命があると感じることがよくあるんですが、佐藤さんは世界を見て来られて何か感じることはありますか」

佐藤 「私は、日本人は素晴らしい特性があるように感じます。・・・私たちが持っている温かさや寛容さこそ、世界の平和に貢献できるのではないかと思うんです」

村上 「・・・実際に西洋の科学技術や経済力といった理知的な面と、東洋の寛容な精神といった感性的な面を持ち合わせているのは、日本人だけですからね」

佐藤 「私が忘れられない「トスカ」の公演があります。この作品が大好きで何十回も聴かれたという外国人のお客様が、私の歌を聴いて、この作品で初めて泣いたと言われたのです。でも、どうして自分が泣いたのか分からないから私に教えてほしいと言われました。・・・もしかしたら私のヨーロッパ的ではない感受性の働きが伝わったからかもしれない、と・・・私が演じるヒロインは、皆、愛する男性のために自己犠牲を払う役目と決まっているのです。・・・オペラで愛する人のために命を捧げる女性が描かれているというのは、自己犠牲こそ、人間の行為の中でいちばん尊いことだからだと思うんです・・・その尊さを深いところで自然に感じ取って歌うことができるのは、もしかしたら私が日本人の魂を持っているからなのかもしれません」

村上 「この人のためなら死んでもいいという人に出逢えることは、ある意味その人にとって最高の幸せかもしれません。そしてそれは人だけではなく、仕事でも同じですね。この仕事のためなら死んでもいいと。」

「自己犠牲」という美徳はとても難しく、純化されたものでなくては美しいといえないものかもしれません。佐藤しのぶさんの演じるヒロインのお話から、古事記の、倭建命の妻、弟橘比売命が海に身を投げるエピソードを思い出してしまいました。佐藤しのぶさんの美しい歌を聴いてみたくなりました。

Genes for the Joyous Life (English Edition) Kindle版 Kazuo Murakami (著)

「陽気ぐらしの遺伝子」(邦題)『Genes for the Joyous Life (English Edition) 』amazon kindle版発売されました。

Known as one of the worldʼs leading genetic researchers, Dr. Kazuo Murakami, who in this book talks about his own religious background as well, draws on the latest research findings on the mind and genes to discuss a variety of issues facing the world, including embryonic stem cell research, human cloning, genetic modification technology, cancer immunotherapy, addiction, obesity and hunger, and bird flu outbreaks. The last chapter features a dialogue between His Holiness the 14th Dalai Lama of Tibet and Dr. Murakami.
(This book, being published in e-book form, presents an English translation of Yokigurashi no idenshi, published in Japan in 2007.)

― Author―
Kazuo Murakami was born on December 26, 1935, in Tenri City, Nara Prefecture. After having received his doctorate in agricultural chemistry from the Graduate School of Agriculture at Kyoto University, he became a researcher at Oregon Health and Science University. He then served as assistant professor at Vanderbilt University. In 1978, Dr. Murakami became professor of applied biochemistry at the University of Tsukuba. He attracted international attention for deciphering the genetic code of the human enzyme rennin, thought to be responsible for hypertension. In 1996, he was awarded with the Japan Academy Prize for his achievements. Currently, he serves as professor emeritus at the University of Tsukuba and as director of Bio Laboratory in the Foundation for Advancement of International Science.

https://www.amazon.co.jp/%E9%99%BD%E6%B0%97%E3%81%90%E3%82%89%E3%81%97%E3%81%AE%E9%81%BA%E4%BC%9D%E5%AD%90-%E6%9D%91%E4%B8%8A-%E5%92%8C%E9%9B%84/dp/4807305204

「陽気ぐらしの遺伝子」(日本語版)は上記をご参照ください。

「祈力の充実」で幸せに生きる 『致知』4月号

「致知」 生命(いのち)のメッセージ 連載第100回の記念すべき対談は、村上和雄が人生最後の研究テーマと定めた「祈りと遺伝子」研究において多大なるご尽力をいただきました、横浜弘明寺住職、美松寛昭和尚です。美松和尚は本研究の主旨をご理解いただき、ご賛同いただいて、研究の場をご提供くださいました。宗教的な場において科学的研究をすることについては、批判的なご意見もあったようですが、惜しみなくご親切にご協力くださいました。おかげさまで「祈りと遺伝子」研究も、もう一息でその緒につくところまでたどり着くことができました。対談の一部をご紹介いたします。

村上「宗教と科学とは一見相交わらないように思われているかもしれませんが、私は表裏の関係にあって共通点はあると思うんですよ」

美松「人間の体の中には秘められたパワーがもっとある」「それを引き出すのが、私たち宗教者の役目ではないか」「難病と言われるものや精神的な病気にしても、人間にはそれに立ち向かっていける力が備わっていると思うんです」「研究によって祈りの力がはっきりすれば、もっと意識的に本来人間に備わっている力に、祈りの力をもって働きかけることで、人々を救うことができる」

弘明寺では八のつく日に「護摩行」が行われています。もう何度も参加させていただきましたが、お経と太鼓や鐘の音と、護摩壇の炎、お寺が持つ場の力が相まって、終わるととてもすっきりいたします。美松和尚の力強いお姿は、人々の祈りを大いなるものに届けてくれるように感じますし、力を与えてくれるように感じます。弘明寺は横浜最古のお寺で、千三百年も前に開山された歴史あるお寺ですが、「祈りの寺」というキャッチコピーを付けられたのは美松和尚だそうです。そこには「祈り」の力を信ずる強いメッセージが込められていると感じます。護摩行には誰でも自由に参加できるので、檀家さんだけではなく一般の方も数多くお祈りされています。

美松「御祈願の約七割が病気に関する悩みなんですよ。どうすれば僧侶の立場で、病気を患っている方々の苦しみを取り除くことができるかを考えるようになりました」

美松和尚は、昔、『白い巨塔』を読んで、医者に憧れたそうです。僧侶となって、多くの方の悩みが病気にあることを知って、日本ではお坊さんは死後の世界を扱うというのが一般的ですが、現世で病に苦しむ人たちのためにできることを研究しようと、「病苦研究会」を立ち上げ活動されています。

村上「いま私は八十一歳になりましたけど、原則として毎朝祈っているんですね。それが私のパワーになっている。私にとって祈りというのは日常生活に基づいているわけで、これは遺伝子と祈りの研究をするうえで大きかったと思いますね」

美松「心の及ぼす影響というのはすごく大きい。だからこそ、祈力を充実させることができれば、心の力を引き出すことができる」

村上「二十一世紀は宗教的なものと科学的なものとが融合する命の世紀になってほしい命の世紀をリードしていく使命が、日本人にはあると思うんです」

美松和尚という力強いサポーターとのご縁をいただき、心から感謝しております。村上ラボのメンバー一同、新年度も研究に頑張ってまいります!

村上和雄 講演会 in 日光

村上和雄 「スイッチオン」の世界へ 日光木鶏クラブ5周年記念講演会

日時:平成29年5月20日(土)午前10時開演

会場:日光中央公民館 中ホール(日光市平が崎160 TEL:0288-22-6211)

参加費:500円 定員:150名(申込制・先着順)

申込:参加申込書(下記)に必要事項記入し5/10までにFAX(0288-26-5927)

詳細 → 170520nikkomokkeiclub

木鶏クラブは全国で自主運営されている『致知』愛読者の会です。村上和雄は『致知』で    生命のメッセージという対談ページを連載しています。